下田光平
下田 光平(しもだ こうへい、1989年4月8日 - )は、秋田県秋田市仁井田出身の元サッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。 来歴小学校3年生時に[3] 地元・秋田のスポーツ少年団でサッカーを始め、中学生時に所属したFCあきたでボランチに転向[3]。3年生時に高円宮杯全国大会に出場。秋田商高在学時には、恵まれた体格に身体能力と当たりの強さを備え、ダイナミックなプレーぶりから[3][4]「みちのくの稲本」と呼ばれていた[5]。 2008年、名古屋などとの争奪を経て[4]FC東京へ入団[6]。入団会見では「目標とする選手は今野泰幸」とコメント[7]。同年の公式戦出場機会は掴めなかったが、サテライトや練習試合ではチームのレギュラー選手相手に、守備から攻撃の第一歩となるプレーが通用する所を見せた。[要出典]また、U-19日本代表メンバーに定着し同年開催のAFC U-19選手権に出場[8]。U-19サウジアラビア戦ではMF香川真司とのドイスボランチを構成した[9]。 2009年1月には各クラブで出番に恵まれない選手で構成されたU-20日本代表に選出され、カタール国際ユーストーナメントに出場。同年5月末、下田を「守備の強い、90分走ることができるタフな選手」と評価していた木山隆之[10] が指揮を執るJ2・水戸ホーリーホックへの期限付き移籍が発表されると[11][12]、そのわずか3日後の同月30日に行なわれたJ2第18節・対仙台戦で早速先発で起用され公式戦デビューを果たす。守備のユーティリティープレイヤーとして重宝がられていた[要出典]が、同年9月のJ2第38節横浜FC戦で左膝前十字靱帯を損傷。全治半年以上の診断を受け戦線を離脱[13]。 2010年も移籍期間を延長し[14][15]、同年5月のJ2第13節熊本戦で復帰。ボールホルダーへの厳しいチェックを見せた[16]。当時の水戸はドイスボランチの両方に攻撃的な選手[注 1]を起用しており、下田に多くの出場機会が与えられることはなかったが、シーズン終盤のJ2第34節札幌戦からはレギュラーに固定。チームメートのDF大和田真史から「人に強いし、ボールを取るのもうまい」と評された[2] 守備力を発揮し、木山からも「いい位置取りで(相手の)攻撃の芽を摘んで、攻撃の起点にもなっていた」[18] などと賛辞され、守備で貢献するボランチとして存在感を示した。 2011年は移籍期間を満了し[19] FC東京へ復帰。同年はMF高橋秀人がアンカーのポジションで定着したため出場機会は限られたが、高橋が出場停止となったJ2第34節湘南戦でFC東京での初先発を果たし[20]、猛烈なプレスで相手のパスの出所を塞ぎ[21]、広範囲をカバーする守備意識の高さで穴を埋めた[22]。 2012年3月にFC町田ゼルビアへ期限付き移籍[23][24]。登録後すぐに先発出場を続けるようになり、J2第9節甲府戦でプロ入り後初得点を挙げた[25]。しかし持ち前のボール奪取で激しいプレーを続けたことによる代償か[26]、町田でも負傷による長期離脱を余儀なくされた[27]。シーズン終盤に復帰するも[28]、移籍期間満了により同年限りで退団[29]。 2013年からV・ファーレン長崎へ完全移籍[30][31]。長崎では対人の強さを買われ[要出典]、ストッパーとして3バックの一角に配された。同年4月のJ2第9節熊本戦ではプレーとは無関係に相手選手に対し頭突きをしたことが「乱暴な行為」に相当すると判定され、1試合の出場停止処分を科された[32]。2014年にかけて雑なプレーを減らし成長を見せたが[33] 同年限りで長崎との契約を満了[34]。 2017年12月、現役引退が発表された[36]。 2018年より東京フットボールクラブに入社し、古巣FC東京のスクールコーチに就任。 2020年より株式会社CrushOnに入社。 所属クラブ
個人成績
その他公式戦
タイトル
ブラウブリッツ秋田
個人
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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