中津競馬場
中津競馬場(なかつけいばじょう)は、かつて大分県中津市大字大貞にあった地方競馬の競馬場。 沿革年表
廃止およびその後2001年(平成13年)、中津競馬場は21億円以上の累積赤字を理由に急遽閉鎖、廃止された(「#幻の開催日程」も参照)。 廃止の表明は、当時の中津市長であった鈴木一郎が2001年(平成13年)6月3日をもって廃止することを突然発表し、これにより職を失う約400名の調教師・騎手・厩務員などの労働者に対し「直接の雇用関係にない競馬関係者に補償金を支払う義務も責任もない」と補償をしないことを表明[1]した事から、大きな騒動に発展したが、市議会も廃止を承認した。 以後、追随するように競馬開催を廃止する自治体が次々と現れ、結果的に中津競馬の廃止が平成期の自治体の公営競技整理の端緒となった。 折しも佐賀競馬場・荒尾競馬場との3場で、独自の競走格付け「九州グレード(KG)」を導入するなど相互の連携を強めていた矢先の出来事であった。また当時のリーディング上位常連騎手有馬澄男(園田へ移籍)、人気女性騎手の小田部雪(荒尾へ移籍)といった、一部の競走馬・関係者の移籍受け入れが行われるなど前述の2競馬場以外にも少なからず影響を及ぼした。 中津競馬場の跡地には公園の造成が計画されていたが、工費は中津競馬の累積赤字を遥かに上回る40億円規模とされていた[2]。 結局、競馬場の跡地には大貞公園や中津市総合体育館(愛称・ダイハツ九州アリーナ)などが整備・建設された。 コース概要
発売する馬券の種類(廃止直前)○…発売 ×…発売なし
主な競走(廃止直前)
所属騎手(廃止時)
幻の開催日程当初、中津競馬場の開催は2001年(平成13年)6月3日までとされていた。しかしゴール判定写真を行う映像業者との契約が更新することができなかった(また、中津市側が意図的に希望価格を異常に下げたとも言われている)ため、4月〜6月の開催日程が発表されていたにもかかわらず、2001年3月22日の開催を最後に閉鎖された。このため、閉場に伴うセレモニーなどの類は一切行われず、中津競馬の歴史には唐突に幕が下ろされることとなった。 関連書籍
脚注注釈出典
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