京都府立莵道高等学校
京都府立莵道高等学校(きょうとふりつ とどうこうとうがっこう、英語表記:Kyoto Prefectural Todoh Senior High School)は、京都府宇治市五ケ庄五雲峰にある府立高等学校。1985年(昭和60年)4月1日に開校した。 設置学科沿革1989年まで続くと予想された中学校卒業者数の急増を背景に[3]、その傾向が最も顕著で高校進学率も低かった宇治市内で高校の増設が検討された[4]。山城地域では1983年に開校した西城陽高校と南八幡高校に続く新設校で、宇治市内の府立高校としては4校目(大久保地区の進学先となっていた久御山高校も含めると、実質的に5校目)。用地は五ケ庄の高台が選ばれた。 校名の選定にあたっては北宇治、五ケ庄などの候補が出されたが、由緒ある「菟道」(古来は「うじ」と読んだ)の地名や日本書紀に登場する皇族・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)にちなんで「莵道高校」に決定した[5][6]。 莵道高校は1985年に始まった新高校入試制度(類型制度と定員の一部で5~6校の学校選択を認める通学圏の導入が主な柱)に則り、開校当初から普通科第Ⅰ類と第II類(人文系、理数系)を設置[7][8]。 新制度は画一的な小学区制(1学区1校制度)を廃止して各校に標準コースのⅠ類(希望枠5%)、学力伸長コースのII類(同30%)を設けるというものであり、生徒の能力・適性に合った教育課程を目指した[9]。特にII類は7時限目授業の「莵道活動」(莵活)や夏休み中の「莵道合宿」(4泊5日の学習合宿)を必修化するなど、大学進学を前面に押し出したのが特徴である[10]。また部活動もアーチェリー部やボクシング部を創設し、他校との差別化を意識した。このうちボクシング部は京都府の公立高校では初の創部であり、創設当時は私立高校を含めても南京都高等学校(現・京都廣学館高等学校)に次いで2例目であった。 その後II類の希望枠が100%に拡大(学校単位で出願する単独選抜に移行)したこともあり[11]、莵道高校は山城北通学圏(宇治市、久御山町)で最も進学実績の良い府立高校として認知されていくことになる[12]。 2004年からは山城北通学圏と山城南通学圏(城陽市、八幡市、京田辺市、綴喜郡、相楽郡。当時木津川市は未設置)が統合されてI類の総合選抜(類単位で決めた合格者を居住地によって各高校に振り分ける制度[13])が廃止されたことにより、類型・居住地に関わらず通学圏全体から受験生が集まることになった[14][15]。 2011年には山城通学圏で類型制度が廃止され[16]、莵道高校独自の教育課程となっている。 年表
部活動75%の生徒が何らかの部活動に所属している[2]。
主な行事
独自の活動その他
交通アクセス著名な出身者脚注
関連項目外部リンク |