今いくよ・くるよ
今いくよ・くるよ(いまいくよ・くるよ)は、昭和後期から平成後期にかけて活躍した日本の女性漫才コンビ。所属事務所は吉本興業。高校の同級生コンビでもあった。女性コンビの先駆け的存在の1組である[1]。弟子にサカイストがいる。 「どやさ」という台詞は代名詞の一つであり、意味は特に決まっておらず、疑問や驚きや喜びといった様々な場面に対応できる。 プロフィール
経歴京都明徳高等学校(当時は明徳商業高等学校)時代、2人ともソフトボール部に所属していた。いくよがセンター(キャプテン)、くるよはマネージャー(当初キャッチャー)。3年生の時、全国大会で準優勝。 1970年、OLを辞め、島田洋之介・今喜多代に弟子入り。弟子入り3か月目、師匠についていった巡業先で急病で出られなくなった女流のマジシャンの穴埋めで初舞台を踏んだ。その直後のうめだ花月の公演に「スエ子・正子」のコンビ名で出演[14]。以降もスポットライトが当たることがなく、下積み生活が続いた。 1980年になって、ようやく『花王名人劇場』(関西テレビ)に出演するチャンスを得たものの、吉本興業から「これでウケなかったら最後」と通告されていた。リハーサルやネタ見せの段階ではまったくウケなかったが、本番になってくるよがお腹を叩いたところこれがウケ、2人の漫才はカットされずに全国放送された(このときの他の出演者にはやすし・きよしなどの大御所が並んでいた)。翌日よりテレビ、ラジオその他からの出演依頼が殺到。苦難の末、ようやく本格女流漫才師として日の目を見ることとなった。 1984年には上方漫才大賞を、1988年には花王名人大賞を受賞するなど、1980年代を代表する女性漫才コンビとして活躍した。 1994年9月4日に関西国際空港が開港した際には、前夜大阪国際空港からの最後の国際線として出発しグアム国際空港を経由し関西国際空港の到着第1便となる日本航空のチャーター機に搭乗した。「伊丹からいくよ、関空へくるよ」と銘打ったのに因んだゲストであり、グアムから関空への飛行中のJL1944便の機内で漫才を披露している[15]。 2006年10月6日、『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキングで、1984年8月30日(紹介者は田島令子)以来、丸22年ぶりの出演を果たした(同、友近)。 2009年9月22日、なんばグランド花月での公演中にくるよが引きつけを起こし倒れ、大阪市内の病院へ緊急搬送された。その後、検査入院となり心筋梗塞と診断。退院したくるよは12月1日に『ラジオよしもと むっちゃ元気スーパー!』(ラジオ大阪)で復帰を果たす。 師匠や先輩から「女芸人が結婚したら終わり」と冗談交じりに言われた事を守り抜き、いくよ・くるよ共に生涯独身を貫いた。結婚予定がどちらもあったが、破談させている。 2015年5月28日 17時58分、いくよが大阪府内の病院で死去。67歳没。 いくよの死去後はくるよがピン芸人として活動していたが、くるよと中川家の3人でユニットを組み、「今くるよ・中川家」「今いくよ・くるよ・くるよ」等の名前で舞台・テレビ出演したことがある(剛がいくよ、礼二が「2人目のくるよ」に扮する)。くるよの生前最後の舞台出演は2022年4月、なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」で車椅子に乗って出演した[16]。 2023年、桂吉朝とともに、いくよ・くるよが第26回上方演芸の殿堂入りとなった。7月27日に行われた賞状の授与式にはくるよは出席せず、吉本興業の奥谷達夫副社長が代理出席し、くるよのメッセージを代読した[17]。 いくよの死去から9年後となる2024年5月27日、くるよが大阪市内の病院で死去した[12]。76歳没。両者とも鬼籍に入った。 芸風太っているくるよと痩せているいくよが、自分たちの体型や容姿・ファッションをけなし合うネタをよく演じたが、他人に対しては悪口を言ったり笑いに使うことはほとんどなかった。そのため、老若男女を問わず広いファンを持っていた。2人の親交は40年以上にわたって続いたが、コンビ仲がとてもよかったことで知られていた[18]。 他にもいくよの厚化粧をネタに、くるよが顔にファンデーションをはたくような仕草や、漫才途中から必ずくるよの派手で大きな衣装がズレてくるので、すそを何度も持ち上げての漫才をする。 外見のイメージから、いくよがツッコミ、くるよがボケのような印象を持たれがちだが、実際の漫才では逆でいくよがボケ、くるよがツッコミであった。共にドスのきいたハスキーボイスであり、声質は似ている。 持ちネタ
人間関係後輩の面倒見がよく、過去には中川家やレギュラー、ジェットコースター(解散)、ミサイルマンらを食事に誘ったり、ラジオに定期的に出演させたりした。毎年3月3日には2人が中心となってベテラン、若手問わずに吉本所属の女性芸人を集めて親睦会が行われていた。この会はいくよの没後も続けられ、会費はくるよひとりで全額負担したという[10]。また後輩芸人、スタッフにニックネームを付ける。 松本人志(ダウンタウン)は、いくよとくるよがどちらか混同するため、「太った人がこっちに向かってドンドンドンドン走って来る方が“くるよ”」と覚えていた(松本出演のラジオ『放送室』(TOKYO FM)より)。 出演レギュラー番組
テレビドラマ
映画アニメ映画CM
ゲーム
ミュージックビデオ脚注注釈出典
外部リンク |