伊藤準規
伊藤 準規(いとう じゅんき、1991年1月7日 - )は、愛知県稲沢市出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)、YouTuber。 経歴プロ入り前小学生の時に稲沢リトル(硬式)で野球を始め、中学時代は父親が創設したヤングリーグ「西尾張ドリームス」でエースとして全国大会に出場。高校進学にあたっては、地元の私学からの誘いもあったが、愛知県では愛工大名電、中京大中京、東邦など一部私学が甲子園出場寡占状態であることもあって、甲子園出場を目指す本人の希望もあり、越境して岐阜県立岐阜城北高等学校へ進学する。 岐阜城北時代は1年秋からエースとして活躍し、夏の県大会では2年時の2007年に準々決勝の清翔高校(現:岐阜聖徳)戦でノーヒットノーランを達成し、チームの中軸打者として本塁打も記録している。3年夏の県大会では4回戦で敗退。 2008年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け11月30日に仮契約した。12月13日に入団発表され、背番号は18に決定した。 中日時代2009年9月30日の読売ジャイアンツ戦(ナゴヤドーム)でプロ入り初登板を果たす[1]。この試合は立浪和義の引退試合であり、「子供の頃からドラゴンズファンの自分にとって、憧れていた立浪さんの引退試合が自分の初登板の試合になったというのが一番の思い出」と、後年語っている。直後の10月3日にはファーム日本選手権の先発投手として登板、5回1/3を無失点に抑え勝ち投手となった[2]。クライマックスシリーズでは第5戦の9回に登板している。 2010年は開幕ローテーション入りし、開幕3戦目(3月28日)の広島東洋カープ戦でプロ入り初先発を果たす[3]。4月4日には阪神タイガース戦で、8回を1失点に抑えプロ初勝利を挙げた(中日での10代先発勝利投手は1989年の今中慎二以来21年ぶり)[4]。ただし次の巨人戦ではクイックモーションができずに簡単に盗塁を許し、2回3失点でKOとなり二軍落ちした。その後は右肘痛もあって一軍に戻ってくることはなかった。 2011年は7月3日の巨人戦で同季初登板し、5回途中までを完全に抑えるなど7回2/3を2失点に抑えて勝利投手となり、交流戦後初のチームのカード勝ち越しに貢献した[5]。10月1日の阪神戦では急遽リリーフに上がり勝利投手になったが[6]、2勝に留まった。 2012年は1勝に終わるも、クライマックスシリーズファイナルステージの第2戦に先発。巨人打線を相手に7回2/3を2失点と好投し、勝利投手となった[7]。第6戦でも先発したが、1回1/3を5安打3失点でKOされ、日本シリーズ進出を逃した[8]。 2013年4月3日のウエスタン・リーグ広島戦での登板中、右肘に違和感を訴え、4月9日に右肘関節外側側副靱帯損傷と発表された[9]。オフにこの年のドラフト1位で入団した鈴木翔太が背番号18を付けることになったため、65に変更した。 2014年は、8月に一軍に昇格。8月22日の巨人戦では中継ぎとして登板するも、1回を1失点で敗戦投手となる。その後は勝ち星こそつかなかったものの、6先発中4回でクオリティ・スタートを記録するなどした。 2015年は2試合の登板にとどまり、防御率も5点台後半と振るわなかった。 2016年は7月29日の阪神戦(阪神甲子園球場)で4年ぶりの勝利投手となった[10]。しかし、防御率は6.05と振るわなかった。 2017年は開幕を二軍で迎えるが、5月2日に一軍に昇格し、リリーフとして0勝1敗9ホールド、防御率2.35という成績を残し、9月5日の巨人戦から先発に転向するも、9月23日の横浜DeNAベイスターズ戦では8失点を喫した[11]。 2018年は中継ぎ投手として開幕を一軍で迎えたが、一軍では11試合の登板にとどまる。 2019年も中継ぎ投手としての起用を見込まれたが[12]、2月のキャンプ入り序盤に右肘痛を発症し、別メニューで調整[13]。開幕後は4月9日、二軍の福岡ソフトバンクホークス戦でシーズン初登板[13]。故障再発を危惧し、登板間隔を開ける慎重な起用方法となったが[13]、18試合に登板し、防御率0.48と安定した成績で[14]、6月17日に不調の田島慎二に代わって一軍に昇格[15]。翌18日の対埼玉西武ライオンズ戦(ナゴヤドーム)で3番手としてシーズン初登板。しかし、1回1/3を被安打7、8失点という大炎上を喫する。この試合では先発の阿知羅拓馬も4回1/3を被安打10、8失点と炎上しており、チームはナゴヤドームワーストタイの16失点を記録してしまった[16]。この1試合以降登板なく、7月1日に登録を抹消される[17]。登録抹消後も二軍では好投を続け、30試合に登板して1勝0敗4セーブ、失点は5月9日の阪神戦の1点のみで[18]、防御率0.29という格の違いを見せつけていたが、8月に右肘の違和感が再発し、一軍再昇格は叶わずシーズンを終える[19]。投球練習はできる程度ではあったが、右肘痛に毎年見舞われていることから手術を受けることを決断し[19]、10月17日に神奈川県横浜市内の病院で右肘関節形成術を受けた[20]。11月12日の契約更改では300万円ダウンの推定年俸1100万円でサインした[21]。 2020年は、一軍での登板が無く、11月3日に球団より戦力外通告を受けた[22]。現役続行を目指し、2020年12月7日に行われた12球団合同トライアウトに参加し、3者連続三振を奪った[23][24][25]。しかし、他球団から声が掛かることがなく、12月18日に自身のInstagramで現役引退を表明[26][27]。 現役引退後2021年2月27日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』にゲスト出演し、実兄が経営する不動産会社に1月から入社してサラリーマンとして働いていることを明かした[28]。実兄からはメディアへの出演は「どんどんやれ」と言われており、同年4月17日にはYouTubeでの配信活動を開始[29]。Spotifyでのラジオ配信も行っている。 選手としての特徴・人物ストレートの最速は153km/hを記録し[30]、変化球はスライダーとフォークボールを投げる[31]。 クイックモーションと故障の多さを課題としている。 新人時代から「イケメン右腕」としてオフのイベントなどによく参加させられ、ファンから人気を博していた[30]。その容姿を活かし、引退後に不動産会社に入社してからは、企業広告やモデルの仕事も始めているという[28]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
登場曲
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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