但東町(たんとうちょう)は、かつて兵庫県出石郡に属していた町。兵庫県北部の但馬地域にあり、京都府と県境を接していた。
2000年(平成12年)時点の人口は5731人だった。2005年(平成17年)4月1日、豊岡市及び城崎郡城崎町・竹野町・日高町、出石郡出石町、但東町が合併して新たに豊岡市が発足し、但東町は廃止された。
地理
兵庫県の但馬地域に位置していた。面積は161.96平方キロメートルであり、市街地の周囲を山に囲まれていた。西方以外は京都府に接していたが、峠越えが必要な道路が多く、丹波地域及び丹後地域との経済的・文化的交流を困難なものとしてきた。
地形
東西に円山川支流の太田川、南西に同じく円山川支流の出石川が町の中心部を流れており、それら川に沿って42の集落が散在している。また山林・原野の総面積に占める割合は87.6%、耕地の占める割合はわずか4.7%であり、農林水産省が定義する農業地域類型区分に従うと、典型的な山間農業地域となっている。
- 山岳
- 河川
隣接していた自治体
- 兵庫県
- 京都府
歴史
行政
1976年(昭和51年)9月30日には「みつばつつじ」が但東町の花に、「欅」が但東町の木に制定された。
但東町国際交流協会がモンゴルと国際交流を行っていた。
経済
農業
農業における地勢的不利や収入面を補うため、戦前から養蚕業、畜産業、製炭業が盛んであった。しかし戦後は代わってピーマンやキュウリなどの野菜栽培、チューリップ球根の生産やブロイラーの飼育が成長している。
工業
また但東町は丹後ちりめんの産地でもある。1960年代のエネルギー革命期に製炭業などが衰退した一方で、ちりめん機業は好況を迎えることになり、製炭業・養蚕・畜牛をやめて、機業へと転業する農家も多かった。これにより旧資母村で盛んであった機業は但東町全域に拡がることになり、一時若年層のUターン現象が見られた。しかし機業は1970年代半頃をピークに衰退し、1977年(昭和52年)に2,209台あった織機台数は、1999年(平成11年)には333台と大幅に生産が縮小している。
このような地理的・経済的不利から脱するために但東町は農業を活かした都市との交流事業によって、町全体の活性化を図ろうとした。その行動計画として1983年(昭和58年)に但東シルクロード計画、そして1989年(平成元年)に但東シルクピア計画が策定された。
教育
小学校
中学校
交通
但東町内を走る鉄道路線はない。鉄道を利用する場合の最寄駅は、JR山陰本線江原駅。
バス路線
- 全但バス出石〜出合〜奥藤線、出石〜出合〜河野辺・薬王寺線(廃止年時点)。2019年現在、出合〜河野辺・薬王寺間は豊岡市営バス「イナカー」河野辺線に移管されている。
道路
国道
県道
名所・旧跡・観光スポット
祭事・催事
関連項目
外部リンク