円城寺清
円城寺 清(えんじょうじ きよし、1870年(明治3年)11月 - 1908年(明治41年)10月21日)は、日本のジャーナリスト。号は天山。 人物・来歴1870年11月、佐賀県小城郡晴田村(現小城市)に生まれる[1]。1889年12月11日、東京専門学校邦語政治科に入学する[1]。 1892年7月15日に卒業した後に[2]、郵便報知新聞に入社する[3]。1893年9月1日号の第109回から1894年10月13日号の第296回までの「大隈伯昔日譚」の筆録者に抜擢される[3][注釈 1]。1894年、郵便報知新聞を辞める[3]。 1898年5月、憲政党の組織に伴い、『憲政党党報』の編集を主宰する。憲政党の分裂後、『憲政本党党報』の主任記者及び発行兼編輯人となる。1898年11月4日、憲政本党の院外団「憲政同志会」の規約起草委員に指名され[注釈 2]、幹事に当選する[4][注釈 3]。11月9日、憲政本党の院外者による大懇親会において運動委員会の設置が決議され、11月10日に運動委員会幹事に[注釈 4]、11月13日に常務委員に選ばれる[4][注釈 5]。11月29日、政務調査局第二部(大蔵、農商務)の担任となる[5][注釈 6] 12月8日の地租増徴反対同盟発起会において、「地租増徴反対同盟会」の常任幹事となる[6][注釈 7]。 1902年7月から1903年12月まで、早稲田大学評議員となる[8]。 1908年10月15日、急性盲腸炎となり、10月19日に佐藤順天堂病院に入院する。10月20日に手術を受けるが、10月21日午前8時15分に亡くなる[9]。享年39歳。墓所は青山霊園(1ロ9-12) 家族次男に演劇評論家の円城寺清臣(1902-1977)、弟に商店雑誌社主筆の円城寺艮(?-1917)がいる。 著作単著
執筆(大隈伯昔日譚)
脚注注釈
出典参考文献
外部リンクInformation related to 円城寺清 |