初期仏教
初期仏教(しょきぶっきょう、英: Early Buddhism)とは、根本分裂による部派仏教成立以前、釈迦が生きていた時代を含む初期の形態をいう[1]。 原始仏教、根本仏教[2]とも呼ばれるが、「原始」「根本」という言葉にはさまざまな価値的な判断の意味が含まれるため、ここでは中立的な時間的に先であることを示す「初期仏教」という用語も使用される。しかし、必ずしも時代区分ではなくオリジナルという意味で「原始仏教」という用語を用いる学者も多い。Stanislaw SchayerとJ. W. de Jongは初期仏教を原始、根本と見る見方に福音主義の影響を見ている[3]。 前史紀元前13世紀以前には、インド・ヨーロッパ諸語のひとつである古インド・アーリア語(サンスクリット語)の話者であるリグ・ヴェーダの伝承を有する人々がインド亜大陸に入り、ドラヴィダ人との同化が始まるブラーフマナ時代(紀元前900年 - 紀元前500年)には、現在のアフガニスタンのバルフから多神教のヴェーダの宗教(ザラスシュトラの興した一神教・ゾロアスター教の原型でもある)を奉ずる民族が十王戦争においてインドに侵攻し、ガンジス川流域への移住した人々によって先住民族であるドラヴィダ人を支配する封建社会体制が形作られ、司祭階級バラモン(ブラフミン)を頂点とするカースト制を持つバラモン教がインドで形作られていった。紀元前5世紀になると、4大ヴェーダが完成し、バラモン教が宗教として完成した。 しかし、ヴェーダの宗教的権威に従わない人々、サマナ(沙門)も同時期に登場し、ジャイナ教・アージーヴィカ教・仏教といった宗教を開いた。 →「インド哲学 § 異端派」も参照
歴史釈迦に始まる初期仏教仏教は、約2500年前(紀元前6世紀頃)に釈迦がインド北部ガンジス川中流域のブッダガヤで悟りを開き、サールナートで初転法輪(初説法)を行ったことに起源が求められている。発生当初の仏教の性格は、同時代の孔子などの諸子百家、ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、『マハー・ワッガ』をはじめとする初期仏典では、このとき五比丘(5人の修行仲間)に説かれた教えが、中道・八正道・四諦・三転十二行相であったとされている。 釈迦と五比丘、すなわちコンダンニャ、ワッパ、バッディヤ、マハーナーマン、アッサジの6人が阿羅漢となり創設された初期仏教教団は、シュラーヴァスティーのジェータヴァーナー寺院を教団本部とし、インド各地で布教活動を行った。これら釈迦の生涯において重要な各地を八大聖地と呼ぶ。 年表
脚注注釈出典
出典
関連項目
外部リンク
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