前田悠伍
前田 悠伍(まえだ ゆうご、2005年8月4日 - )は、滋賀県長浜市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 経歴プロ入り前長浜市立古保利小学校2年生の時に高月野球スポーツ少年団で野球を始め、6年時にはオリックス・バファローズジュニアでプレーした[2][3]。長浜市立高月中学校在学時は硬式野球のクラブチームである湖北ボーイズでプレーし、1年時にはカル・リプケンU12世界少年野球選手権の日本代表に選出され、優勝した[2]。 同じ滋賀県出身の横川凱に憧れて大阪桐蔭高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り[4]。1学年上の松尾汐恩とバッテリーを組んで先発、救援をこなし、明治神宮野球大会での優勝に貢献した[5]。2年春の第94回選抜高等学校野球大会では2試合に登板。近江との決勝に先発して7回1失点、11奪三振と好投し、優勝に貢献した[4]。選抜大会決勝で2年生投手が2桁奪三振を記録して勝利するのは史上初であった[4]。春夏連覇を目指して同年夏の第104回全国高等学校野球選手権大会にも出場。下関国際との準々決勝で救援登板するも、1点リードの9回に2失点し、逆転負けを喫した[6]。同年秋から背番号1を背負って主将を務め、神宮大会で史上初となる連覇を成し遂げた[7]。3年春の第95回記念選抜高等学校野球大会では東海大菅生との準々決勝で1失点完投勝利[8]。報徳学園との準決勝では1点リードの7回途中から救援登板するも3失点し、逆転負けを喫した[9]。同年夏は大阪大会決勝で履正社に敗れた[10]。その後、WBSC U-18ワールドカップの日本代表に選出され、台湾との決勝で1失点完投勝利して優勝した[11]。 10月26日のドラフト会議では、いわゆる「外れ1位」ながら、北海道日本ハムファイターズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、福岡ソフトバンクホークスの3球団から指名を受け、抽選の結果ソフトバンクが交渉権を獲得した[13]。11月29日に大阪市内で入団交渉し、契約金1億円、年俸1000万円(金額はいずれも推定)で仮契約を結び[14]、12月4日、福岡市内で入団発表会見が行われた[15]。背番号は千賀滉大が使用していた41となった[16]。担当スカウトは稲嶺誉[17]。 ソフトバンク時代2024年4月20日、ウエスタン・リーグ広島東洋カープ戦(タマスタ筑後)に7回から2番手で救援登板し、プロ入り後初となる実戦登板、公式戦デビューを果たした。1回を投げ2安打2失点、1三振の内容であった[18]。6月6日のウエスタン・リーグ中日ドラゴンズ戦(みずほPayPayドーム福岡)では、二軍戦ではあるものの、チームの本拠地で初登板し、6回を3安打無失点に抑えた[19]。2軍では12試合に登板、うち9試合先発で65イニングを投げ4勝1敗1セーブ、防御率1.94の成績を残し、1軍がリーグ優勝を決めた後の10月1日、対オリックス・バファローズ25回戦で1軍初登板初先発を果たす。初回こそ3者凡退としたものの、2回に先頭打者からの4連打を含む被安打5で4失点すると、3回にはセデーニョに2点本塁打を喫し、その後更に四死球などで招いた満塁のピンチは凌いだものの3回6失点で降板。しかしその後チームが6点差を逆転し勝利したため敗戦投手とはならなかった[20]。 投球スタイル最速148km/hのストレートにカーブ、スライダー、チェンジアップ、ツーシームを交える[2]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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