2005年、グループSNEに入社。2011年に退社[1]。グループSNEからの独立後、フリーランスのゲームデザイナーとして活躍したのち、2018年よりゲーム制作集団「NEW GAME PLUS」を主宰。また、ゲームサークルベルセルクの初代代表であり、その後は永世名誉会長となった。
2020年6月20日より急性膵炎のため入院[2]。同月30日、精密検査の結果、ステージIIIの膵臓がんと判明していたことを発表した[3]。また、これまでゲーム制作集団「NEW GAME PLUS」の主宰を務めていたが、入院及び長期療養に入るため、主宰をからすば晴に交代したことも併せて発表した[4]。8月15日に退院[5]。手術の結果、膵臓、十二指腸、脾臓、胃の三分の一を切除し、膵臓と十二指腸を失ったことで膵性糖尿病を患う[6]。体力が大幅に落ちため、新作TRPGの制作やイベント参加等は困難であることを報告し[7]、関東から関西へ帰郷して「終活」を行うとした[8]。
10月に関西に帰ったのち、かねてより親交のあった合鴨ひろゆきが代表を務め、関西に拠点を構える合同会社DucQrewsに10月15日付で入社。療養に努めながら作品制作を行う予定であったが、入社から3日後の2020年10月18日21時3分に死去。41歳没。合同会社DucQrewsに入社したことは、10月22日、力造の訃報とともに、合同会社DucQrewsとゲーム制作集団「NEW GAME PLUS」の双方より明かされた[9][10]。