『千石纏』(せんごくまとい)は、1950年(昭和25年)に子母沢寛が発表した新聞小説であり、同作を原作として同年にマキノ雅弘が監督し、東横映画が製作、東京映画配給が配給して公開した日本の長篇劇映画である[1][2][3][4]。
略歴・概要
小説『千石纏』は、『東京日日新聞』(現在の毎日新聞夕刊)、『新関西新聞』、『愛媛新聞』の3紙に掲載された[1][4]。単行本が上梓されたのは、映画が公開された後、1951年(昭和26年)である[5]。最初に文芸図書出版社から、1956年(昭和31年)には版元を変えて桃源社から出版された[5]。
第二次世界大戦後、従来興行会社であった東横映画が大映との協定を結び、1947年(昭和22年)、「大映第二撮影所」(現在の東映京都撮影所)を借りて同撮影所を「東横映画京都撮影所」[6]として製作を開始して以来、4年目に入った同社の正月第一弾映画である。本作は、同社でのマキノ雅弘(マキノ正博)の5作目にあたり、翌年1月5日には、同社の正月第二弾映画『女賊と判官』が公開されるが、これも監督は同作同様のマキノ雅弘、そして共同監督が萩原遼であった[7]。
東横映画の作品を配給するために東京映画配給(現在の東映)が設立されて1年半が経過しており、本作は東京映画配給が配給して、1950年(昭和25年)12月31日に公開された[1][2][3][4]。本作に「映倫番号」が付されているのは、1949年(昭和24年)6月14日に「映画倫理規程管理委員会」(旧映倫)が結成されたからで、1954年(昭和29年)8月まではレイティングは行われていない[8]。
東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の上映用プリント等を所蔵しており[9]、東映チャンネルも同作をHD化して放映している[10]。2017年5月時点、GAO!ストアのストリーミング配信で視聴可能。
目次
- 千本並木 - p.3
- 千兩藝者 - p.29
- 木遺師 - p.55
- 柳ばし - p.82
- おんな達引 - p.109、
- 米澤町二丁目 - p.135
- 筋引纒 - p.162
- 本郷湯島 - p.189
- 消し枡 - p.215
- 兩國八景 - p.241
- 江戸つ子 - p.266
- 向う庇 - p.292
- 心の塵 - p.317
- 花咲く纒 - p.342
ビブリオグラフィ
国立国会図書館蔵書による一覧である[5]。
映画
『千石纏』(せんごくまとい)は、1950年(昭和25年)に子母沢寛が発表した新聞小説を原作として、同年にマキノ雅弘が監督し、東横映画が製作、東京映画配給が配給して公開した日本の長篇劇映画である[1][2][3][4]。
作品データ
スタッフ
- 製作 : マキノ光雄
- 企画 : 柳川武夫
- 監督 : マキノ雅弘
- 原作 : 子母沢寛
- 脚本 : 館岡謙之助、依田義賢
- 撮影 : 三木滋人、吉田貞二
- 照明 : 田中憲次、小林武雄
- 録音 : 加瀬壽士、中山茂二
- 美術 : 小池一美、塚本隆治
- 編集 : 宮本信太郎、祖田冨美夫
- 助監督 : 小沢忠弘
- 装置 : 村居常治郎
- 装飾 : 西田孝次郎
- 背景 : 池田金三郎
- 装身具 : 山崎敏夫
- 電飾 : 野村清太郎
- 記録 : 大内小夜子
- 衣裳 : 前田正二
- メーキャップ : 林政信
- 結髪 : 西野艶子
- 音響効果 : 江戸川一
- スチール : 江崎洋
- 立師 : 足立伶二郎
- 演技事務 : 渡部健作
- 音楽 : 大久保徳二郎
- 演奏 : 中沢壽士とシンフォニックジャズオーケストラ
- 協力 : 江戸消防記念会、出羽海秀光
- 木遣 : 浅草吉奴
- 進行主任 : 寺川千秋、橋本慶一
- 特別参加 : 横綱東富士、出羽海一門
- 相撲指導 : 秀の山勝一
キャスト
脚注
参考文献
- 『映画年鑑 1951』、時事映画通信社、1950年12月1日
- 「日本映画紹介 千石纏」、『キネマ旬報』1951年2月上旬決算特別号所収、キネマ旬報社、1951年2月、p.56.
- 『日本映画批評 千石纏』滋野辰彦、同上、p.64.
- 『クロニクル東映 1947-1991』、東映、1992年
関連項目
外部リンク
- 書籍
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- 映画
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