六代目 古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう、1944年8月17日 - 2023年10月8日)は、東京都墨田区江東橋出身の落語家。本名∶小椋 幸彦。落語協会所属。出囃子は「大拍子」。
経歴
東京都立第四商業高等学校卒業後ガソリンスタンドに勤務。
1969年1月、三代目古今亭志ん朝に入門。1972年10月に前座となる、前座名「古今亭志ん太」。
1975年5月、蝶花楼花蝶、立川談生、林家源平、立川小談志と共に二ツ目昇進。
1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬、柳家せん八、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬と共に真打昇進。六代目古今亭志ん橋を襲名[2][3]。
2023年10月8日、大腸がんのため、東京都内の自宅で死去した[4][5]。79歳没。生前最後の定席出演は同年1月5日、浅草演芸ホール初席となった[4]。同年10月1日に最後の弟子である古今亭志ん松(志ん橋没後に兄弟子の志ん丸門下に預かりとして移籍)が翌2024年9月より真打昇進が決定した[6]その矢先の訃報となった。なお、志ん松は真打昇進とともに師であった「志ん橋」の名跡を襲名する事を自身のYouTube配信で発表[7]、2024年9月下席より七代目古今亭志ん橋を襲名した。
芸歴
人物
スキンヘッドがトレードマークである。
三代目志ん朝門下の中でも多くの弟子(志ん朝から見て孫弟子)を持っているが、師匠である志ん朝、兄弟子である志ん駒、初代志ん五の病没で師匠を失った弟子を多く預かっている(後述参照。志ん橋の直弟子は三代目志ん丸、志ん雀、志ん松の3人)。特に志ん陽は志ん朝、志ん五と相次いで師匠を失う形となり、志ん橋門下に移った。
五街道雲助、柳家喜多八と「九識の会」(く(もすけ)・し(んきょう)・き(たはち))を開催していた。会は後に「のれん噺」とタイトルを変更。
出演
- テレビ
- 映画
- 受賞
弟子
真打
廃業
参考資料
脚注
外部リンク