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和氏

和氏
氏姓
のち 和朝臣
始祖 百済国第25代武寧王
出自 百済国
氏祖 和宇奈羅
種別 諸蕃
本貫 百済国
大和国城下郡大和郷
著名な人物 高野新笠
後裔 和朝臣
凡例 / Category:氏

和氏(やまとうじ)は、「和」をの名とする日本渡来氏族姓(カバネ)養徳とも記される。


概要

百済系の渡来氏族で、百済の第25代王・武寧王の子孫である[注釈 1][1][2]。和(やまと)の名称は、大和国城下郡大和郷(現在の奈良県天理市佐保庄町大和一帯)に由来する[3]

もともと和史姓を名乗っていたが、和乙継(やまとのおとつぐ)の娘・新笠が入侍していた白壁王(光仁天皇)が即位したため、宝亀年間(770年代)に乙継・新笠親子には高野朝臣姓を賜与された[4]。また、乙継の子・国守らその他の一族も延暦2年(783年)に史姓から朝臣姓に改姓している[5]

光仁天皇と新笠の皇子である桓武天皇は、延暦9年12月30日791年2月11日)、生母の一周忌に際して、母系の祖父・和乙継と祖母・土師真妹(はじのまいも)に正一位を追贈した。朝臣姓和氏からは、桓武朝で天皇外戚として中納言にまで昇進し、渡来系氏族として初めて公卿となった和家麻呂(乙継の孫)がいる[6]。朝臣姓「高野」は乙継と新笠の父娘にのみ賜姓されたとみられ、こちらも文献に現れない。

脚注

注釈

  1. ^ 桓武天皇の母・高野新笠の出自について『続日本紀』に、
    皇太后姓は和氏、諱は新笠、贈正一位乙継の女〔むすめ〕なり。母は贈正一位大枝朝臣真妹なり。后の先は百済武寧王の子純陁太子より出ず。……其れ百済の遠祖都慕王は河伯の女日精に感じて生めるところなり、皇太后は即ち其の後なり
    —『続日本紀』延暦9年1月15日条
    とある。

出典

  1. ^ 新撰姓氏録』左京諸蕃
  2. ^ 鈴木靖民「和氏」 - 世界大百科事典内の和氏の言及、平凡社。
  3. ^ 佐伯[1994: 467]
  4. ^ 『続日本紀』延暦9年1月15日条
  5. ^ 続日本紀』延暦2年4月20日条
  6. ^ 『日本後紀』延暦23年4月27日条

参考文献

  • 佐伯有清 編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年11月。ISBN 4639012500 
史料
  • 『続日本紀』
  • 『新撰姓氏録』
  • 『日本後紀』

外部リンク


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