和英語林集成
『和英語林集成』(わえいごりんしゅうせい)は、ジェームス・カーティス・ヘボンが編纂した、幕末から明治の日本語を英語で説明した辞典。日本最初の本格的な和英辞典で[1]、当時の日本語を知り得る記録としても重要とされる[2]。 特徴『和英語林集成』は「和英の部」と「英和の部」からなり、後続の宣教師などの日本語習得の負担軽減を目的に編纂された[4][5]。このことはヘボンが、1864年11月28日付の書簡の中で、「辞書または資料的な助けなくしては、日本語を学ぶことがどんなに難しいか、私はもちろん、当地の宣教師ども一同もよく知っているのです」と述べていることから知れる[6]。また、『和英語林集成』について「望んでいるのは外国人ばかりでなく、日本人も等しく求めているからです」として、完成に対する神の加護を祈っている[7]。 ヘボンは日常生活の中で、伝道、施療、読書などを通して、日常語を中心に日本語を幅広く採集して書き留めた[5][8]。ほとんどが口語的な表現である[9]。見出し語はアルファベット順にローマ字で排列されているが、片仮名や漢字も示されており、品詞、語義、用例、類義語が英語やローマ字による日本語で記されている[5][10]。西洋の視点から当時の日本語を分析し、日本語を英語で解説して、英語に日本語を対応させているのである[11]。 多くの文献を参照していると考えられるが、定かなのは序文に記されている『日葡辞書』と『英和・和英語彙』である[4][5]。また、『雅俗幼学新書』などを参照していることも指摘されている[4][5]。 初版は横浜とロンドンで1867年(慶応3年)に発売されたが、近代化する日本の様相を捉えるべく増補を繰り返した[4]。再版は1872年(明治5年)の新政府成立に伴う語彙を加えて和英・英和辞典とし、1886年(明治19年)の第3版は、漢語が著しく増加した近代国家成立時期の日本語を写し取っている。こうして日本語全体に意識を払った辞典として展開していったことにより、国語辞典としての側面が整備されていくことにもなったので、日本語の変容の様相を具体的に把握することができる[4]。 著名な「ヘボン式ローマ字」はこの辞書から生まれ、第3版で確定した。より正確には、羅馬字会が提案した綴りを下敷きに修正を施したのである[12][13]。チをchi、ツをtsuと表記し、b・m・pの前の「ん」音は m と表記するなど、音声学的な異なりを反映している[13]。 序説には「いろは」と「五十音図」を載せているが、第3版では「イ・ヰ」はともに i、「オ・ヲ」はともに o で、「エ」がア行・ワ行に置かれて e とするのに対し、「ヱ」はヤ行に置かれて ye になっており[2]、その前に置かれた仮名の字形表では逆に「エ」を ye、「ヱ」を e としている。 各版『和英語林集成』は九版まで刊行されているが、大幅な改訂が施されたのは再版と三版であり、それ以降は大幅に手を加えていない[14]。なお、語数については、復刻版『和英語林集成 第三版』(講談社、のち講談社学術文庫)校訂を担当した松村明解説に基づく。
評価近代国語辞典の始まりは、1889年(明治22年)から1891年(明治24年)にかけて発行された大槻文彦の『言海』であるが[17]、『和英語林集成』はそれに先行する近代日本語辞書で、『言海』の語義記述に影響を与えている[18]。なお、金田一春彦は「『和英語林集成』はローマ字の見出しに片仮名表記と漢字表記を添え、品詞を明示し、英語による語釈を加えた上で、用例と同義語を記している。見出し語は二万あまり、当時の日本語を的確に語義記述している点で、国語辞典としても高く評価されている。これは広く受入れられて九版まで版を重ね、和独辞典や和仏辞典だけでなく、近代的国語辞典にも大きな影響を与えた」としている[19]。 『和英語林集成』は明治のベストセラー辞書であった。このことは数年おきに刊行されていることが、その需要の高さを物語っているといえる[14]。和英辞典として英語学習にも利用され、第三版の予約部数は18,000部であり、ポケット版も発行されて明治末まで使われた。なお、英語学習者用和英辞典の登場は1909年(明治42年)井上十吉『新訳和英辞典』(三省堂)である。[要出典] 複製・復刻
脚注注釈出典
参考文献
関連文献
外部リンク
|