Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

喝采 (ちあきなおみの曲)

「喝采」
ちあきなおみシングル
初出アルバム『喝采』
B面 最后の電話
リリース
規格 7インチレコード
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル 日本コロムビア
作詞 吉田旺
作曲 中村泰士
ゴールドディスク
第14回日本レコード大賞・大賞
チャート最高順位
  • 週間2位(オリコン
  • 1972年度年間66位(オリコン)
  • 1973年度年間4位(オリコン)
ちあきなおみ シングル 年表
禁じられた恋の島
(1972年)
喝采
(1972年)
劇場
(1973年)
テンプレートを表示

喝采」(かっさい)は、ちあきなおみの楽曲で、13枚目のシングルである。1972年9月10日に発売された。発売元は日本コロムビア

解説

概要

亡くなってしまった恋人を思いつつステージで歌っているという設定の曲である。

1970年8月に発売された5枚目のシングル「X+Y=LOVE」以来、通算3作目のオリコントップ10入りを果たした。発売から翌年にかけて[注 1]オリコン集計で通算80万枚を売り上げた。日本コロムビア調べでは累計130万枚[1]

ちあきは本楽曲で『第14回日本レコード大賞』(1972年)の大賞を受賞した。発売されてから3ヶ月でのレコード大賞受賞は史上最短記録である[2]

本楽曲は歌詞の設定や内容から、当時「ドラマチック歌謡」といわれた[要出典]。また、続けて発売されたちあきのシングル「劇場」、「夜間飛行」と併せて「ドラマチック歌謡三部作」ともいわれる[要出典]

1972年の『第23回NHK紅白歌合戦』では本楽曲が歌唱された。

1989年に発売されたアルバム『喝采〜紅とんぼ/吉田旺 参分劇』には、伴奏がピアノだけにアレンジされた新バージョンが収録された。

2015年9月1日から、サントリーボス」のCMソング(「宇宙人ジョーンズシリーズSong&BOSS」)として使用されており、本楽曲の場面もCM内で再現されている(出演:ミッツ・マングローブ徳光和夫[3]

舞台

発売当時はちあきの実体験を元にして作られた「私小説歌謡」として売り出された。ちあきがデビュー前から兄のように慕っていた若手役者が岡山県浅口郡 鴨方町(現在の浅口市鴨方町)に住んでおり、亡くなったという話を詞にしたということだが、実際には作詞をした吉田旺はちあきのエピソードを知らずにこの詞を書いていた。小倉駅が舞台で若松市(現北九州市若松区)出身の吉田が東京へ行く思い出を書いており、歌詞が出来上がってから、ちあきの体験と偶然似ていたため「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったといわれている[要出典]

ちあき本人は上記の通りの自身の経験と偶然似ていた歌詞から、「私この歌は歌いたくない…」とマネージャーに言ったという[要出典]。その際、マネージャーは作詞者の吉田に対して「ちょっと辛い経験があって、それを思い出したようで」と言った[4]

オリコンでの記録

この曲はリリースして約2か月経った11月1週目でオリコンチャートの7位にランクされ、2週間後には2位まで上昇するが、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」の1位獲得により、「喝采」が12週間(3ヶ月間)にわたり2位にランクインされた。

なお、特信チャート(レコード特信出版社調べのチャート)では、「女のみち」を抑えて最高位1位を記録している[5]

エピソード

作詞者の吉田旺は「歌い手をテーマにした詞を書いてみよう」と思い立ち、本楽曲の詞を完成させた[6]。吉田が最初に決めたタイトルは「幕が開く」だったが、当時のコロムビアのプロデューサーだった東元晃がそのタイトルに難色を示した。そして、東元が本楽曲のタイトルを「喝采」と命名した[6]

作曲者の中村泰士服部良一作曲の「蘇州夜曲」や賛美歌の「アメイジング・グレイス」をベースとして本楽曲を作曲した[4]。中村は「ヨナ抜き音階」で本楽曲を作曲したが、当時「ヨナ抜き音階」は演歌では多く使われていたものの、ポップス系では使われておらず、中村にとってポップス系の本楽曲をシンプルな「ヨナ抜き音階」で作曲したことは会心の出来だったという[7]

本楽曲の歌詞に出てくる「黒いふちどり」という部分は、「縁起が悪い」、「死を歌詞に持ち込むことはない」「いくら別れの歌でも殺す必要はない」と当初レコード会社や作曲者の中村泰士は歌詞を変えるよう提案した[6]。しかし、作詞者の吉田旺は「いや、ここが核だから」と頑なに変えず、コロムビアに対して「喪に関する言葉は水商売の世界じゃ縁起がいいんです」とまで言ってこの部分の歌詞を死守した[8]

レコーディングの際には、周りを黒いカーテンで囲み誰にも姿を見せず、声を出すために裸足で臨んだという[9]

本楽曲がレコード大賞を受賞した1972年は、上半期のヒット曲で「日本歌謡大賞」を受賞した小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が当初は大賞の最有力候補だった[要出典]。実際に本楽曲が発売された際に、審査員の一人[誰?]が作曲者の中村に対して「もう決めていたのになぁ。悩ましい曲を書かないでよ」と言ったというエピソードも残っている[10]。結果的には本楽曲が大賞を受賞したが、本楽曲を制作した当事者にとっては「まさか」の受賞だったという[11]

ちあき本人の歌唱による英語版の歌詞も存在し、2000年に発売されたCD-BOX『ちあきなおみ・これくしょん ~ねぇあんた~』に収録されている(英語詞:清水マリヤ)。

イントロがポール・サイモンの「母と子のきずな」に酷似している、という指摘があった[いつ?][誰によって?]

2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』に際してNHKが行ったアンケート「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」で、「喝采」が紅組の第45位にランクインした。

収録曲

(全作詞:吉田旺、作曲:中村泰士、編曲:高田弘

  1. 喝采BE-TWEEN STAGE ) [3:31]
  2. 最后の電話LAST MESSAGE ) [2:44]

カバー

本楽曲やちあきなおみから影響を受けたと公言している中村中も、テレビ番組のスタジオライブにおいてカバーしている。平原綾香エレファントカシマシもカバーしている。
コロッケによるものまねでは、複数回題材にされている。

脚注

注釈

  1. ^ 本作の発売時期と年間チャート集計時期の関係から、発売の翌1973年の年間チャート4位にランクインした。

出典

  1. ^ 大下英治「第一章 メガヒット紆余曲折 「へーンシン!」で人気に火が点く」『日本ジャパニーズヒーローは世界を制す』角川書店、1995年11月24日、ISBN 4-04-883416-9、25頁。
  2. ^ 1972年に行われた『第14回日本レコード大賞』を振り返ってみよう!ミドルエッジ 2020年6月3日 更新
  3. ^ Song&BOSS CM動画サントリー
  4. ^ a b 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』(石田伸也著、徳間書店、2008年)p65
  5. ^ 週刊現代』2021年1月9日・16日号、89頁。
  6. ^ a b c 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』(石田伸也著、徳間書店、2008年)p66
  7. ^ 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』p65-66
  8. ^ 『ちあきなおみに会いたい。』(石田伸也著、徳間書店、2012年)
  9. ^ SONGS』(NHK、2013年11月16日)[信頼性要検証]
  10. ^ 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』p72
  11. ^ 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』p73
  12. ^ 米倉利紀が初のカバー集で沢田研二、松田聖子、オリラブ、米米らを熱唱”. 音楽ナタリー (20105-08-26). 2015年8月27日閲覧。
  13. ^ つるの剛士「つるのうた3.5」で和田アキ子、中山美穂ほかカバー”. 音楽ナタリー (2015年12月24日). 2015年12月25日閲覧。

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya