土屋彦六
土屋 彦六(つちや ひころく、旧姓・杉山、1856年6月27日(安政3年5月25日) - 1930年(昭和5年)4月16日)は、日本メソジスト教会の牧師である。杉山孫六の実弟。 沼津・下谷・築地・牛込・甲府・浜松・中遠・吉原・玉幡・谷村・相良・見附の教会を牧し、46年間の伝道者生活を送った[1]。 静岡バンドの一員。 生涯1856年(安政3年)5月25日に幕臣にして静岡学問所(後の賤機舎)教官の杉山三八安親の子として生まれ、賤機舎の英学生として学ぶ。 1874年(明治7年)9月27日 デイヴィッドソン・マクドナルドより賤機舎の山中笑ら10名と供に洗礼を受ける。 1877年(明治10年)1月15日 G・M・ミーチャム宣教師が集成舎の校長の江原素六、教官の末吉訳郎と中川貴重、および生徒3名に洗礼を授け、彼等が沼津教会を形成する[2]。 1878年(明治11年) 1879年(明治11年)12月21日 G・M・ミーチャム宣教師が下谷教会を創設。土屋彦六が転任し、初代牧師となる[5]。 1880年(明治12年)7月 甲府教会に転任し、第2代牧師となる[5][6]。 1881年(明治14年)
1882年(明治15年)1月 牛込教会から沼津教会に再赴任し第3代牧師となる[3][6][9]。 1884年(明治17年) 1885年(明治18年) 1887年(明治20年)9月 甲府教会牧師を辞める[11]。 1888年(明治21年)4月 牛込教会に転任し9代目牧師となる[12]。 1891年(明治24年)7月 牛込教会から浜松教会に転任し、第5代牧師となる[7][12]。 1896年(明治29年)6月22日 浜松教会から見附教会(後の中遠教会)に転任する[7]。 1900年(明治33年)沼津教会に再赴任し第11代牧師となる[3]。 1906年(明治39年)吉原教会牧師を辞める[13]。 1907年(明治40年)4月 甲府教会に転任し、第11代目牧師となる[14]。 1909年(明治42年)3月 玉幡講義所および竜王講義所の担当として転任[14]。 脚注
参考文献
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