塚田晃平
塚田 晃平(つかだ こうへい、1989年8月24日 - )は、東京都目黒区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 経歴目黒区立第二中学校時代は、目黒ピータースに所属。 早稲田実業高時代は、2年時春の第78回選抜高等学校野球大会と、夏の第88回全国高等学校野球選手権大会に1学年先輩の斎藤佑樹の控え投手として甲子園に出場。春は関西高戦の引き分け再試合で先発を任され2回を無安打無失点に抑えた。夏は初戦の鶴崎工業高戦で大量得点差のついた9回裏にリリーフ登板するも制球が定まらず2者連続で四球を与え降板した。 高校卒業後は、東京六大学野球連盟に加盟する早稲田大学に進学。3年間は、層の厚い投手陣の中で登板機会が無かった。4年時の春、開幕カードの東京大学戦で延長10回から5番手としてリーグ戦初登板を果たした。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから育成3位指名を受けた。 2013年は四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに派遣されたが[1]、2013年にリーグに所属していた全選手(途中退団を含む)の中でワースト2位となる防御率7.56を記録。チームも通年を通して最下位に沈むなど、不本意な成績でシーズンを終えた。10月1日には球団から戦力外通告を受けた[2]。10月31日、自由契約公示された[3]。 2014年は、アメリカ独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのスーシティ・エクスプローラーズでプレー。 2015年には、2月14日にロッテ浦和球場でベースボール・チャレンジ・リーグの合同トライアウトを受験。同日のドラフト会議で新潟アルビレックス・ベースボール・クラブから1巡目で指名された[4]。入団後は、リーグ戦21試合に登板。2勝3敗3セーブ、防御率4.70という成績を残した。なお、11月10日には、シートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)に参加。最初の打者・鵜久森淳志から2人続けて空振り三振を奪うなど、対戦した打者3人全員から奪三振を記録した[5]。しかし、獲得に乗り出す球団はなかったことから、12月4日に現役を引退することが発表された[6]。
プレースタイル・人物192cmの長身から放つ最速147km/hのストレートとフォークを武器とする[8]。 憧れの選手は、津田恒実[8]。プロ入り後は進撃の巨人と呼ばれている。 詳細情報年度別投手成績
独立リーグでの投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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