増保 輝則生年月日 |
(1972-01-26) 1972年1月26日(52歳) |
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出身地 |
東京都 |
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学校 |
城北高校 |
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大学 |
早稲田大学 |
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ラグビーユニオンでの経歴 |
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ポジション |
ウィング |
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アマチュア経歴 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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城北高校 早稲田大学 |
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シニア経歴 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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1994-2004 |
神戸製鋼 |
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代表 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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1991-2001 |
日本 |
47 |
(147) |
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更新日: 2021年8月10日 | コーチ歴 |
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年 |
チーム |
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神戸製鋼 ラガール7 |
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増保 輝則(ますほ てるのり、1972年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手。元神戸製鋼コベルコスティーラーズ監督。現在ジャパンラグビーリーグワンコベルコ神戸スティーラーズのアドバイザーを務めている。
プロフィール
経歴
淑徳小学校→城北中学・高校→早稲田大学
城北中学でラグビーを始める。城北高校3年時に高校日本代表の主将としてスコットランド遠征に参加。
早稲田大学に進学後、戦後最年少(当時)となる19歳3か月で日本代表に選出され、WTB(ウイング)として活躍。在学中に大学選手権準優勝2回。
1994年に神戸製鋼に入社し、1年目から中心選手として活躍。
1995年の第3回W杯では、ニュージーランド戦で大敗した戦犯の1人としてマスコミのバッシングを受けたが、その後大学時代から太り気味だった体を見事にシェイプアップし、本来の鋭いキレを取り戻し日本代表へ復帰。1998年の第4回W杯アジア予選では本戦出場の原動力となった。
1999年、神戸製鋼の主将に就任。1999年度~2000年度に全国社会人大会と日本選手権の2冠連覇を成し遂げた。また日本代表としても第2~4回ラグビーワールドカップに出場した。
2004年4月、現役を引退し、神戸製鋼コベルコスティーラーズの監督に就任。
(2012年)早稲田大学ラグビー部アドバイザー(2015年退任)及び女子ラグビー7人制チーム【ラガール7】の総監督を務める(2017年2月末で退任)。
(2013年)RWC2019アンバサダー「TEAM 2019」に就任し、W杯成功のための広報活動及び普及活動を全国で行っている。
関連項目
外部リンク
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1930年代 (19名) | |
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1950年代 (27名) | |
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1960年代 (11名) | |
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1970年代 (25名) | |
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1980年代 (28名) | |
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1990年代 (30名) | |
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2000年代 (56名) | |
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2010年代 (45名) | |
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2020年代 (20名) | |
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