過去千年間の世界の平均気温。1800年の後に短期間だが気温が低下している。
夏のない年 (なつのないとし、英 : Year Without a Summer )は、1816年 に北ヨーロッパ 、アメリカ合衆国 北東部およびカナダ 東部にて起こった、夏の異常気象 (冷夏 )により農作物が壊滅的な被害を受けた現象のことである[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] 。この年の気候異常は、太陽活動の低下と、前年までの数年間、大火山の噴火が続いたことによる火山の冬 の組み合わせにより引き起こされたと見る向きが大多数である。1815年 のインドネシア 中南部スンバワ島 に位置するタンボラ山の噴火 は、過去1600年間で最大規模である[ 5] 。歴史家のジョン・デクスター・ポスト は「夏のない年」を「西洋において最後で最大の危機」と呼んだ[ 6] 。
概要
1816年の気候異常はアメリカ北東部、カナダ東部および北ヨーロッパにおいて多大な影響を及ぼすことになった。アメリカ北東部やカナダ南東部は春から夏にかけての気候は比較的安定している。平均気温は20℃から25℃ほどであり、気温が5℃を下回ることは稀である。夏に雪が降ることは極めて稀であるが、5月に吹雪が起こることはある。
1816年5月[ 7] 、霜 が発生したため農作物の大部分が壊滅的な被害を受けた。6月にはカナダ東部およびニューイングランド において、2つの大きな吹雪により多数の死者が出た。6月初めにはケベック において30cmもの積雪が観測され、農作物が害を被った。夏に栽培される植物の大部分は霜がわずかに発生しただけでも細胞壁が破壊されてしまい、まして土壌が雪で覆われてしまえばなおさらである。この結果、この地域では飢餓 や伝染病が発生し、死亡率が上昇した。
7月と8月には、ペンシルベニア州 南部で湖や河川の凍結が観測された。気温の急激な変化が頻発し、わずか数時間で平年以上の気温である35℃あたりから氷結するほどまで気温が低下することもあった。ニューイングランド南部においては農作物はある程度は成長したが、トウモロコシ や穀物 の価格が急騰した。例えば、エンバク の価格は前年は1m3 あたり3.4ドルだったが、これが1m3 あたり26ドルまで上昇した。
清 (中国)においては特に北部で、寒さのために木々が枯れ、稲作 や水牛 も被害を受けた。残りの多くの農作物についても洪水によって壊滅した。タンボラ山の噴火によって季節風の流れが変化したため [要出典 ] 、長江 で破滅的な大洪水が発生した。同様に琉球諸島 でも干ばつが発生したところに台風 被害も重なり、飢饉によって宮古島 で1563人が餓死したと伝えられている[ 8] 。ムガル帝国 (インド)においては、夏の季節風の遅れにより季節外れの激しい雨に見舞われ、コレラ が蔓延した[ 9] 。
徳川家斉 の治世下にあった日本では、この年(文化 13年)は江戸四大飢饉 に匹敵するほどの大規模な飢饉 を引き起こす事態が発生しなかったため、一般には「夏のない年」の日本に与えた影響は小さかった[ 10] とされており、時に「影響は存在しなかった」とさえ言われる場合もある[ 11] [ 12] 。しかし、歴史的事実としては全国的には冷夏が記録され[ 13] 、9月に四国・東海・関東で暴風雨と洪水が頻発し、東北地方は凶作、静岡 (遠江国 、駿河国 、伊豆国 )は不作となった[ 10] 。静岡における記録では小田原藩 の本領地(相模国 、伊豆国、駿河国)ではこの年のみ年貢米の収量が激減しており[ 14] 、新城 や島田 では不作に伴う年貢米減免を訴える一揆 や強訴 が発生している[ 15] [ 16] 。
影響は広範囲に及び、翌年以降も続いた。1817年 の冬は特に厳しく、気温が-32℃まで低下したこともあった。アッパー・ニューヨーク湾 は凍結し、ブルックリン区 からガバナーズ・アイランド まで馬そりで渡ることができた[ 17] 。日本でもこの年(文化14年)も8月に九州で暴風雨と高潮、関東で干魃による凶作、冬は関東と甲府で降雪率 (冬季全体日数に対する雪日数 の比率)が江戸期で最大の値を記録する(ただし、弘前 では減少に転じるなど地域差が見られた)等、各地で異常気象が相次いだ[ 10] 。しかし、前年の凶作や異常気象も含めて大規模な飢饉に発展しなかったのは、天明の飢饉 を教訓としたサツマイモ をはじめとする救荒食 の普及が各地で進んでいたことや、松平定信 が寛政の改革 で提示した藩政改革が各地の藩に広まっていたことの二点が功を奏した結果と考えられている[ 10] 。
原因
画像中央の大きな山がタンボラ山
現在では一般的に、1816年の気候異常は前年5月5日から同月15日までのタンボラ山の噴火により引き起こされたと考えられている[ 18] 。過去1600年間で最大規模の噴火であり、火山爆発指数 ではVEI=7に分類されている。噴火により莫大な量の火山灰が大気中に放出された。タンボラ山の噴火が起こった時期が、太陽活動が低かったダルトン極小期 (1790年 - 1830年)であったことも重要である。
同時期に発生した大規模な噴火は以下の通り。
これらの噴火により既に相当量の火山灰が大気中に放出されていた。これにタンボラ山の噴火が加わり、大量の火山灰により太陽光が遮られたため、世界的な気温の低下が引き起こされた。
結果
火山の噴火が続いたことにより、農作物の不作が数年間続いた。アメリカでは「夏のない年」によってニューヨーク中部や中西部 、西部 への移住が進んだと多くの歴史家は見ている。
ヨーロッパでは、ナポレオン戦争 が終結しつつあったが、今度は農作物の不作による食糧不足に苦しめられることになった。イギリス やフランス では食料をめぐって暴動が発生し、倉庫から食料が略奪された。スイス では暴動があまりにひどく、政府が非常事態宣言を発令するに至った。食糧不足の原因は、ライン川 を始めとするヨーロッパにおける主要な河川の洪水をもたらした異常な降雨であり、1816年の8月には霜が発生した。2005年5月にBBC Two (英国放送協会 )で放送されたドキュメンタリーでは、スイスにおける1816年の死亡率は平年の2倍だったと推定しており、ヨーロッパ全体ではおよそ20万人もの死者が出たとしている。
タンボラ山の噴火はハンガリー に茶色の雪を降らせた。イタリア でも同様で、1年を通して赤い雪が降った。これらは噴火により大気中に放出された火山灰が雪に含まれたためと考えられている。
清では、夏の異常な低気温により雲南省 では稲作が壊滅的な被害を受け、広範囲にわたって飢餓が発生した。黒竜江省 では、霜によって畑に壊滅的な被害が発生したことが報告され、徴兵から逃れる者もいた。国内でも南部に位置する江西省 や安徽省 においても夏に雪が降ったことが報告されている。台湾 においても、新竹市 や苗栗市 で雪が降り、彰化市 では霜が報告された[ 19] 。
文化的な影響
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 『チチェスター運河 (英語版 ) 』(1828年)
香港の夕暮れ(1992年撮影)。前年のピナトゥボ山 の噴火の影響を受けている。
噴火により大量の火山灰が大気中に放出されたことにより、この時期には壮大な夕暮れを見ることができた。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー の『チチェスター運河 (英語版 ) 』(1828年)にも、この時期の薄い黄色の夕焼けが描かれており、有名である。似た現象は1883年 のインドネシアクラカタウ のラカタ島の噴火の後にも観測されており、1991年 のフィリピンのピナトゥボ山 の噴火の後にアメリカ西海岸 においても、同様の現象が観測されている。
馬の飼料として利用されるエンバクの不足により、ドイツ人の発明家のカール・フォン・ドライス は馬を使用しない新しい輸送方法を研究することになり、軌道自転車 やベロシペード が発明されるに至った。これらの乗り物は現代の自転車 の原型である[ 20] 。
農作物の不作により、ジョセフ・スミス・ジュニア 一家はバーモント州 ウィンザー郡 シャロンからニューヨーク州 ウェイン郡 パルマイラへ移住せざるを得なかった。ジョセフ・スミスはモルモン書 を出版し、末日聖徒イエス・キリスト教会 を設立することになる[ 21] 。
1816年の7月、イギリスの小説家のメアリー・シェリー はジョン・ポリドリ ら友人とスイスで休暇をとっていたが、絶え間なく降り続く雨のため屋内にいることが多かった。一人一作ずつ怪談を書くことが提案され、シェリーが書いた作品は後に『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス 』(Frankenstein, or The Modern Prometheus) として発表された。ポリドリが書いた作品は『吸血鬼 』(The Vampyre) として発表されている[ 22] (ディオダティ荘の怪奇談義 )。詩人ジョージ・ゴードン・バイロン は夏のない年に触発され、詩『暗闇 (英語版 ) 』を書いている。
ドイツの化学者のユストゥス・フォン・リービッヒ は、子供の頃にダルムシュタット で飢餓を経験した。リービッヒは後に植物の栄養素について研究し、化学肥料を開発することになる。
類似の出来事
脚注
^ Saint John New Brunswick Time Date
^ The Quebec Chapter of the Canada Country Study Climate Impacts and Adaptation executive summary Archived 2006年6月25日, at the Wayback Machine .
^ “Weather Doctor's Weather People and History: Eighteen Hundred and Froze To Death, The Year There Was No Summer ”. Islandnet.com. 2012年3月5日 閲覧。
^ Stothers, Richard B. (1984). “The Great Tambora Eruption in 1815 and Its Aftermath”. Science 224 (4654): 1191-1198. Bibcode : 1984Sci...224.1191S . doi :10.1126/science.224.4654.1191 . PMID 17819476 .
^ “Environmental History Resources - The Little Ice Age,Ca.1300-1870 ”. eh-resources.org . Environmental History Resources. April 17, 2015 閲覧。
^ Evans, Robert Blast from the Past [リンク切れ ] , Smithsonian Magazine . July 2002
^ Weather Doctor's Weather People and History: Eighteen Hundred and Froze To Death, The Year There Was No Summer
^ 中塚武 監修「一八一六年の宮古島における台風・旱魃被害」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p29 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号 :23471480
^ Discovery Extreme Earth Archived 2008年7月3日, at the Wayback Machine .
^ a b c d 山川修治、「小氷期の自然災害と気候変動 」『地学雑誌』 1993年 102巻 2号p.183-195(p.191), 東京地学協会 。
^ 1815年タンボラ火山が噴火~地球規模の異常気象で世界各地に大打撃 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
^ 夏のない年 - TURNING☆POINT~世界史(西洋史)を舞台にした歴史映画・DVD紹介のサイト~
^ 近藤純正「最近300年間の火山爆発と異常気象・大凶作 」日本気象学会 『天気(TENKI) Vol.32』1985年4月、164頁。
^ 3.気候変動と人々の暮らし ―歴史に学ぶ― - 近藤純正ホームページ
^ 山吉田の百姓一揆 - 農民の生活と山の争い 近世の新城(江戸時代) 第3章 第2節 - わたしたちの新城_歴史編
^ 増田五郎右衛門義人碑 - 島田市観光協会
^ Edwin G. Burrows and Mike Wallace, Gotham: A History of New York City to 1898 (Oxford University Press) 1999:494.
^ Bellrock.org.uk : Misc
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^ Histories: Brimstone and bicycles - being-human - 29 January 2005 - New Scientist
^ Discovery Channel, "Extreme Earth" Archived 2008年7月3日, at the Wayback Machine .
^ Mary Shelley. Frankenstein . Random House. pp. XV–XVI. ISBN 0-679-60059-0 .
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^ 日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火の年月日 : 十和田湖と白頭山 Bulletin of the Volcanological Society of Japan 43(5) pp.403-407 19981030
^ Horn, Susanne; Schmincke, Hans-Ulrich (2000). “Volatile emission during the eruption of Baitoushan Volcano (China/North Korea) ca. 969 AD”. Bulletin of Volcanology 61 (8): 537–555. doi :10.1007/s004450050004 .
^ “【萬物相】九州の火山噴火 ”. 朝鮮日報 (2011年1月29日). 2011年2月3日時点のオリジナル よりアーカイブ。2019年5月14日 閲覧。
^ a b “13世紀の超巨大噴火、火山を特定 ”. ナショナルジオグラフィック日本版 (2013年10月1日). 2015年12月28日 閲覧。
^ Norman F. Cantor, In the Wake of the Plague: The Black Death and the World it Made 2001:74.
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参考文献
BBC Timewatch documentary: Year Without Summer , Cicada Films (BBC2, 27 May 2005)
Willie Soon and Steven H.Yaskell:Year without a Summer , Vol. 32, # 3 May / June, Mercury (Astronomical Society of the Pacific) 2003
Hans-Erhard Lessing: Automobilitaet: Karl Drais und die unglaublichen Anfaenge , Leipzig 2003
Henry & Elizabeth Stommel: Volcano Weather: The Story of 1816, the Year without a Summer , Seven Seas Press, Newport RI 1983 ISBN 0-915160-71-4
The Story of the Year of Cold, by Dozier, Lou Zerr Press, 2009
関連項目
外部リンク
大規模火山災害
(死者1,000人以上、*は1万人以上)
VEI 7以上、*はVEI8、ka は1,000年前、Ma は100万年前を示す単位