太融寺
太融寺(たいゆうじ)は、大阪市北区太融寺町にある高野山真言宗の準別格本山の寺院。山号は佳木山。本尊は千手観音。新西国三十三箇所第2番札所。 嵯峨源氏の祖である嵯峨天皇第十二皇子[1]源融ゆかりの寺で、古くから当寺付近の地名にもなっている[2][3]。 「大融寺」と誤記されることもあり、中近世の文書に多い。 歴史伝承によれば、弘仁12年(821年)、空海(弘法大師)がこの地にあった霊木から地蔵菩薩と毘沙門天を作製し、それを祀る草庵を結んだことが当寺の始まりとされる。翌年には嵯峨天皇の勅願により空海が天皇の念持仏である千手観音を本尊として正式に寺院としたと伝える。 承和10年(843年)に嵯峨天皇の皇子である左大臣源融によって境内地が広げられ、八町四面の七堂伽藍が建立された。その際、山号を佳木山とし、源融の諱から寺名を太融寺と改めた上、鎮守社として神野太神宮(現:綱敷天神社)も創建されている。以後は浪華の名刹として参詣者で賑わった。 慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣の兵火で全焼するが、元禄年間(1688年 - 1704年)に本堂など25の諸堂が再建される。 1880年(明治13年)には当寺で国会期成同盟が結ばれて全国に自由民権運動が広まっていった。 1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲により再び全焼してしまうが本尊は無事であった。戦後になって本堂、大師堂を始め20余りの堂宇が再興された[4][5]。 1970年に起きた天六ガス爆発事故や1972年に起きた千日デパート火災では、犠牲者の遺体安置所となった[6]。 境内
文化財大阪市指定有形文化財
行事
前後の札所
周辺地域太融寺は曽根崎東の交差点(ホワイティうめだ・泉の広場)から東へ200mにあり、梅田の東部に当たる。周辺は梅田の歓楽街になっており、近くには映画館(梅田ピカデリー)やラブホテルが複数存在する。同じ町内に寺が4つある。かつては関西テレビ放送の本社も近くにあり、番組に関連したイベントを境内で行ったことがある。 脚注関連項目外部リンク |