太見寿人
太見 寿人(ふとみ ひさと、1982年4月26日 - )は、東京都出身のフットサル選手である。ポジションはピヴォ。日本代表。 経歴8歳からサッカーを始め、1997年度の全国高校サッカー選手権大会に初出場した東京都立駒場高等学校へ翌年入学。駒場高校では東京都国体選抜メンバーに2年と3年時に連続で選出され、現プロサッカー選手の前田遼一や田中達也と共にプレーした。なお、高校の同期には元アビスパ福岡の福嶋洋がいた。 サッカーの強豪大学から推薦のオファーがあったが、指導者養成(スポーツ指導者・体育教員など)では定評のある日本体育大学体育学部に進学。大学ではサッカー部には所属せず「友人との輪」を最優先に置き、2001年に同年代の駒場高校OBを中心に結成したフットサルチーム「BOTSWANA FC MEGURO」に入団。初シーズンには第7回全日本選手権東京都大会で強豪CASCAVELを倒し、準優勝という快挙を成し遂げ、フットサル界に旋風を巻き起こした。 2002年には東京都オープンリーグに参戦し、難なく優勝して東京都2部リーグへと昇格。続く2003年には東京都2部リーグで、2004年には東京都1部リーグで優勝した。関東フットサルリーグ参入戦を勝ち抜き、BOTSWANA FC MEGUROトントン拍子で関東リーグへと昇格した。2005年の関東リーグでは1stステージ4位、2ndステージ(上位リーグ)3位と着実な成長を見せ、地域チャンピオンズリーグ出場権を獲得。チームの中心を担うプレーが注目を集め、同年にはフットサル日本代表に初選出された。2006年の関東リーグ1stステージでは初優勝を果たした。2ndステージ(上位リーグ)では4位となった。2007年、関東リーグが1部・2部制へと改定されたのを機に、チームはFUGA MEGUROに改称し、同1部で2度目の優勝を果たす。同年の地域チャンピオンズリーグでは3位に入った。 2007年9月に日本最高峰のFリーグが新設されるまで、日本フットサルの頂点は関東リーグであった。その関東フットサルリーグで優勝5回、得点王2回、ベスト5にも選出された。地域チャンピオンズリーグでは優勝4回、MVP2回、得点王1回。PUMA CUP(全日本フットサル選手権)では関東リーグに所属しながらFリーグチーム相手に次々と勝利を収めていき、2009年優勝、2013年準優勝をし、どちらも記憶に残る試合となった。得点が欲しい時には太見を出したら何か起きるのでは、という神頼みならぬ太見頼みの声もあった。 2014年にはチームがフウガドールすみだと改称し、Fリーグに参入した。チームをFリーグに連れて行く一つの夢が叶った。Fリーグの開幕戦ではそれまで一緒に戦ってきた仲間や歴史を振り返り、武者震いが起きたという。2014-15シーズンは27試合に出場して宮崎曉に次ぐ12得点。チームは参入初年度ながら6位となった。2015-16シーズンは31試合に出場して15得点し、得点数は西谷良介と清水和也に次ぐチーム3位だった。2016-17シーズンは32試合に出場して清水に次ぐチーム2位の17得点を挙げた。ゴールを量産しながらも多くのアシストでチームの勝利に貢献した。 2016-17シーズン終了後に惜しまれながらも現役を引退した[1]。 所属クラブ
個人成績
脚注
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