鳥居
宇治上神社 (うじがみじんじゃ/うじかみじんじゃ)は、京都府 宇治市 宇治山田にある神社 。式内社 で、旧社格 は村社 [ 1] 。隣接する宇治神社 とは対をなす。
ユネスコ の世界遺産 に「古都京都の文化財 」の構成資産の1つとして登録されている。
祭神
祭神は次の3柱。
左殿:菟道稚郎子命 (うじのわきいらつこのみこと)
『日本書紀』では「菟道稚郎子」、『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記される。応神天皇皇子。天皇に寵愛され皇太子 に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという話で知られる。
中殿:応神天皇
第15代天皇。菟道稚郎子命の父。
右殿:仁徳天皇
第16代天皇。菟道稚郎子命の異母兄。
延長 5年(927年 )成立の『延喜式 』神名帳 で「宇治神社二座」と見える2座のうち1座に比定される。この「二座」を祭神と見た場合、菟道稚郎子を1座とすることは動かないものの、もう1座については父の応神天皇・異母兄の仁徳天皇・母の矢河枝比売とする諸説がある[ 2] 。
歴史
創建
創建年代などの起源は明らかではない。宇治上神社のすぐ近くには宇治神社 があるが(北緯34度53分27.77秒 東経135度48分38.52秒 / 北緯34.8910472度 東経135.8107000度 / 34.8910472; 135.8107000 (宇治神社 ) )、宇治上神社とは二社一体の存在であった[ 3] 。宇治上神社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、両社旧称の「離宮明神」もそれに因むといわれる[ 3] 。
宇治上神社の境内には「天降石」・「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐境 信仰による創祀という説もある[ 3] [ 2] 。
概史
延長 5年(927年 )成立の『延喜式 』神名帳 では山城国 宇治郡 に「宇治神社二座 鍬靫」の記載があるが、その2座はそれぞれ宇治神社・宇治上神社に比定される[ 3] 。なお、宇治上神社の本殿は本来左右2棟であるとして、「宇治神社二座」は宇治上神社のみを指すという説もある(3棟の建築年代については後述 )。神名帳の「鍬靫」の記載は、祈年祭の際に朝廷から鍬・靫の奉献があったことを意味する。近くに平等院 ができると、両社はその鎮守社とされたという。
明治 以前は宇治上神社は「上社」・「本宮」、宇治神社は「下社」・「若宮」と呼ばれたほか、両社を合わせて「宇治離宮明神」・「宇治離宮八幡宮」と総称された[ 3] 。
明治に入って宇治神社とは分離し、近代社格制度 では村社 に列した。
2004年 (平成 16年)2月の奈良文化財研究所 や宇治市などによる年輪年代測定 調査では、本殿は1060年 頃のものとされて「現存最古の神社建築 」であることが裏付けられた。また、永承 7年(1052年 )創建の平等院との深い関連性が指摘されている。
境内
拝殿(国宝)
本殿(国宝 ) - 平安時代 後期の造営で、神社建築としては現存最古とされる。流造、桁行5間(正面)、梁間(側面)3間、檜皮葺きの建物内に、一間社流造の内殿3棟が左右に並ぶ(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する)。内殿は左殿(向かって右)に菟道稚郎子 命、中殿に応神天皇 、右殿(向かって左)に仁徳天皇 を祀る(左殿・中殿・右殿を順に第一殿・第二殿・第三殿ともいう)。左殿と右殿は組物が三斗で、組物間に蟇股を置くなど、形式・規模がほぼ等しいが、細部の様式から左殿の方が年代が上がるとみられる。中殿は左右殿より規模が小さく、組物を舟肘木とし、蟇股を用いないなど、形式にも違いがある。外側の桁行5間、梁間3間の建物は内殿の覆屋にあたるが、内殿と覆屋は構造的に一体化しており、左殿と右殿の側廻りや屋根部分は覆屋と共通になっている。左殿と右殿の内陣扉内側には彩絵があり、建物とは別個に「絵画」として重要文化財 に指定されている。左殿の扉絵は唐装の童子像2体、右殿の扉絵は束帯・持笏の随身像2体で、剥落が多いが、平安時代にさかのぼる垂迹画の作例として貴重である。この本殿は国宝に指定されている[ 4] 。
拝殿(国宝) - 鎌倉時代 前期の造営で、寝殿造 の遺構といわれる。切妻造、檜皮葺き。桁行6間、梁間3間の主要部の左右に各1間の庇を付す。桁行6間のうち、向かって左端の1間は柱間が狭く、隣接する庇部分とともに閉鎖的な1室を構成する。建物右端の庇部分も1室となり、これらに挟まれた中央の桁行5間 x 梁間3間分を広い1室とする。屋根は切妻造平入りの屋根の左右端に片流れの庇屋根を設ける。切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がっており、こうした形を縋破風(すがるはふ)と称する。周囲に榑縁(くれえん)をめぐらし、内部は板床と天井を張り、蔀戸を多用した住宅風の構えである。この拝殿は、本殿同様に国宝に指定されている[ 5] 。
その他
天降石 - 「岩神さん」とも呼ばれている。「隕石 である」、や「かつて何らかの社があった跡」ともいわれる。磐境 信仰による創祀という説もある。
桐原水 - 桐原水と称される湧き水があり、「宇治七名水」のうちでは唯一現存するものである。
表門
社務所
摂末社
住吉社(手前)と香椎社(奥)
武本稲荷社
厳島社
武本大神
祭事
歳旦祭 (1月1日)
日待祭 (1月15日)
春季例大祭 (5月1日-5日) - 宇治市槙島町の氏子 が5月5日の本祭を執り行う。
新茶献茶式 (6月1日) - 上林春松、福寿園、辻利兵衛、中村藤吉等が参列。献茶担当は瑞芳菴流煎茶道 。
八朔祭 (9月1日) - 通称「砂持ち」。
日待祭 (10月14日)
新嘗祭 (12月15日)
文化財
国宝
本殿(建造物)
平安時代 後期の造営。1902年 (明治 35年)4月17日に古社寺保存法 に基づき特別保護建造物に指定、1950年 (昭和 25年)の文化財保護法 施行により重要文化財に指定、1952年 (昭和27年)3月29日に国宝に指定[ 7] 。
拝殿(附 桟唐戸4枚、蟇股1箇)(建造物)
鎌倉時代 前期の造営。1902年(明治35年)7月31日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行により重要文化財に指定、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定[ 8] 。
重要文化財(国指定)
本殿扉絵 (国の重要文化財)
右殿の随身像。
摂社春日神社本殿(建造物)
鎌倉時代後期の造営。1912年 (明治45年)2月8日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行により重要文化財に指定[ 6] 。
本殿扉絵(板絵著色) 4面(絵画)
第一殿に童子像2枚、第三殿に随身像2枚。平安時代の作。1977年 (昭和52年)6月11日指定[ 9] 。
京都府指定有形文化財
末社厳島社
末社香椎宮
末社武本稲荷社
宇治上神社文書 1,060点
現地情報
所在地
交通アクセス
周辺
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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