富岡東 (横浜市)
富岡東(とみおかひがし)は、神奈川県横浜市金沢区の町名。現行行政地名は富岡東一丁目から富岡東六丁目。住居表示実施済み区域[5]。 地理南北に細長く、最も北が一丁目、最も南が六丁目である。北は昭和町、鳥浜町と磯子区杉田、東は並木、南は長浜と堀口、西は京急本線を挟んで能見台通と富岡西に接する。二丁目の一部は埋立地で、南部市場関連の卸売企業などが進出している。富岡総合公園から旧海岸線沿いに緑地帯が柴町まで延び、緑地帯の途中の四丁目には富岡八幡宮、六丁目には神奈川県立金沢総合高等学校がある。六丁目の能見台駅近くの丘には神奈川県立循環器呼吸器病センターがある。 交通は京急本線の京急富岡駅のほか、六丁目の南側は能見台駅も近い。南北に国道16号が通り、同国道経由で磯子駅-追浜方面を結ぶ路線バスも利用できる。 面積面積は以下の通りである[2]。
地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、富岡東6-26-10の地点で20万2000円/m2となっている[6]。 歴史沿革かつては久良岐郡金沢町の一部であった。かつては遠浅の海に面し、1877年(明治10年)頃にジェームス・カーティス・ヘボンが汐湯治(海水浴)を推奨するなどし、日本の海水浴場の先駆けの地となった[7]。海水浴場は昭和30年代に埋立が始まるまで賑わった。漁場としても豊かで、打瀬網漁や海苔の養殖が行われた[8]。1936年に横浜市磯子区に編入、磯子区富岡町の一部となる。 現在の富岡東にあたる地域は横須賀街道沿いにあり、富岡町の中心街であった。1936年、横浜海軍航空隊の飛行艇訓練基地が設けられ、終戦後は在日米軍に接収されて富岡倉庫地区となった。 1948年には金沢区が磯子区から分区。1954年、現在の六丁目に結核療養所の神奈川県立長浜療養所(現・神奈川県立循環器呼吸器病センター)が開設。1971年2月、富岡倉庫地区が返還。跡地は横浜市72%、神奈川県16%、国12%に分割され、1975年に富岡総合公園が開園した。1983年7月18日に富岡町から富岡東が分離。住居表示が施行され、富岡東一丁目-六丁目が新設された[9]。 世帯数と人口2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[16]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[17]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
施設
その他日本郵便警察町内の警察の管轄区域は以下の通りである[21]。
交通町内に駅はないが、徒歩圏内に、シーサイドラインの南部市場駅や、京急の京急富岡駅がある。 バス路線京浜急行バス横浜市営バス・横浜交通開発
脚注
関連項目 |