富浦町(とみうらまち)は、かつて千葉県安房郡に存在していた町。館山都市圏に属していた。
2006年(平成18年)、平成の大合併により廃止され、南房総市の一部となった[1]。「富浦町」の名は、南房総市に含まれる旧町域の町丁の冠称として残っている。なお、現在(2018年時点)の南房総市役所は、旧富浦町役場の建物を利用している。
本項では、1889年の町村制施行により成立した富浦村(当初は平郡所属)、1933年に富浦村が町制を施行して成立した富浦町(初代)、1955年に初代富浦町と八束村が合併して成立した富浦町(2代目)について説明する。
地理
富浦町(以下、特に断りのない限り平成の大合併まで存在していた2代目富浦町を指す)は、房総半島の南部に位置していた町である。気候は温暖である。
町域の西側は、南北10kmにわたり東京湾(浦賀水道)に面し[2]、残る三方を山に囲まれている。北部には木の根峠 (181m) を通る東西の山脈、東部には地区の最高点である青木山 (215m) を含み南北に走る200m級の山脈[2])、南部には堂山を通る東西の小丘陵がある[2]。町域北部(豊岡以北)は数千年前から隆起を繰り返してきた段丘が形成され[2]、山が迫る地形となっている。道路も狭隘で土砂崩れの危険性も多く、国道・鉄道ともに規制が多い。岡本川とその支流は東部(八束地区)に河岸段丘を、下流部に平野を作り出して富浦湾に注ぐ[2]。
南西部で大房岬(たいぶさみさき)が浦賀水道に突き出ており、富浦湾を抱える(富浦湾の範囲は、大房岬の北端にあたる「多田良岬」と、町域北西部にある「南無谷岬」を結ぶ範囲とされる[3])。大房岬以南は館山湾(鏡ヶ浦)に面している。
富浦町の町域の西半分は初代富浦町(旧富浦村)の町域であり、東半分は旧八束村の村域である。1926年(大正15年)時点の富浦村は、北に木根峠を隔てて岩井村に、東は八束村に、南東は船形町に接していた[4]:1046。当時は全村を多田良(ただら)・原岡(はらおか)・豊岡(とよおか)・南無谷(なむや)[注釈 1]の4区に分けていた[4]:1046。
南房総市においては、合併前の町村によって市域を7地区に分けており[7]、旧富浦町の地域は「富浦地区」となる[8]。南房総市社会福祉協議会では、小学校区や中学校区(おおむね町村制発足時の町村)をもとに市域を16地区に分けており(2018年現在)、旧富浦町の地域は「富浦地区」「八束地区」に分けられている[9]。
合併前隣接していた自治体
歴史
前近代
1897年(明治30年)以前は平郡に属していた地域である。古くは多田良荘岡本郷に属していた[10]。戦国時代には、里見氏が聖山(ひじりやま)一帯に岡本城を修築し、天然の良港を水軍の拠点として、北条氏に備えた[11]。
元禄16年(1703年)の元禄地震では大津波に襲われた[12]。
近現代
町村制以前
1873年(明治6年)、塩入村・坂村が合併し豊岡村となる[10]。1877年(明治10年)、原村・岡本村が合併し原岡村となる[10]。1878年(明治11年)、千葉県に郡区町村編制法が施行されると、原岡村・多田良村・青木村は1つの連合(連合戸長役場)となり、豊岡村は南無谷村と連合した[10]。1884年(明治17年)に戸長役場の管轄変更が行われた際に、青木村[注釈 2]を除く4か村(原岡村・多田良村・豊岡村・南無谷村)が連合した[10]。
富浦村・富浦町(初代)
1889年(明治22年)、町村制施行に伴い、4か村が合併して富浦村が発足[10]。「富浦」の名は、豊富な海産を願って新たに定められた村名である[10](瑞祥地名)。
1918年(大正7年)、木更津線(現在の内房線)安房勝山駅 - 那古船形駅間が延伸し、富浦駅が開業した。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災においては、北条線(内房線)岩富トンネルが崩落した[13]。
1933年(昭和8年)、町制を施行し、富浦町となる。
富浦町(2代目)
昭和の大合併が進められていた1955年(昭和30年)、初代富浦町は東隣の八束村と合併し、改めて富浦町が発足した。富浦町役場は、青木地区(旧八束村)に置かれた。
2004年(平成16年)、富津館山道路の鋸南富山インターチェンジ - 富浦インターチェンジ間が延伸した。
2006年(平成18年)3月20日、平成の大合併が進められる中で、富浦町と富山町・三芳村・丸山町・和田町・千倉町・白浜町が合併して南房総市が発足した。これに先立つ2月26日に閉町式が行われた[14]。なお、南房総市役所は、「当面」の措置として旧富浦町役場の建物を利用している。
行政区画・自治体沿革
産業
1888年(明治21年)に記された分合取調文書によれば、富浦村となる各村では漁業と農業を営んでいたとされる[10]。
1926年(大正15年)の『安房郡誌』によれば、主要産業は農業で、漁業がこれに次ぐとされる[4]:1047。特筆されているのはビワの栽培で[4]:1047-1048、京浜の市場に出荷され、ことに「南無谷枇杷」が著名であるとされる[4]:1047。また、モモの栽培や畜産も産業として挙げられている[4]:1047。
農業
漁業
ワカメ漁が毎年3月に解禁される[25][26]。
学校
小学校
- 富浦町立富浦小学校
- 富浦町立八束小学校(富浦小学校と合併され廃止)
中学校
その他
交通
鉄道
道路
- 道の駅
名所・旧跡・観光・祭事・催事
名所・旧跡
- 大房岬 - 房総の魅力500選[31]。岬付近では崖地で地層やがけ地固有の植物が観察可能である[32]。1995年(平成7年)4月24日に展望塔が完成し[33]、同年8月に自然公園大会が開催された[34]。
- 金気神社 - 風の神様が祭られており、例大祭などでは健康祈願が行われている[36]。
- 釈迦寺 - 千葉県内初のポックリ観音があり[37]、ボケ封じの観音様とも呼ばれて高齢者の参拝者を集めた[38]。
- 岡本城址(豊岡) - 里見氏が聖山一帯に築いた城。
- 削平地には南手城(みなみてじろ)・北手城(きたてじろ)という名が残っており、北手城があるのが聖山である[11]。南手城は「里見公園」として整備されている[11]。また、南の山麓(東京学芸大学附属大泉学園寮付近)には城主の館が置かれていた[11]。
- 宮本城址(大津) - 里見氏2代里見成義によって築かれたとされる城[39]
- 興禅寺(原岡) - 青岳尼(里見義弘夫人)の墓がある[11]。
- 光厳寺(青木) - 里見義弘の墓がある[11]。
祭事・催事
脚注
注釈
- ^ 読みは南房総市ウェブサイト[5]および日本郵便の郵便番号検索[6]で、現在の南房総市の大字から「富浦町」の冠称を除いたものを示した。
- ^ 青木村は町村制施行時に八束村の一部となった。
出典
- ^ a b c d “南房総市が誕生 「一体感ある組織に」 県内最多の7自治体合併 市長、市議選は来月23日投開票 暫定予算を専決処分”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年3月21日)
- ^ a b c d e “富浦地区(旧富浦町)”. エコツーリズム資料. 南房総市. 2018年5月16日閲覧。
- ^ “富浦湾”. 千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-. 千葉県. 2018年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e f 千葉県安房郡教育会 編『千葉県安房郡誌』千葉県安房郡教育会、1926年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980721。
- ^ “市内の地名と郵便番号一覧”. 南房総市. 2018年5月16日閲覧。
- ^ 郵便番号検索 南房総市
- ^ “各地区の紹介”. 南房総市. 2018年5月16日閲覧。
- ^ “富浦地区紹介”. 南房総市. 2018年5月16日閲覧。
- ^ “地区社会福祉協議会”. 南房総市社会福祉協議会. 2018年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 「富浦村」『明治22年千葉県町村分合資料 十七 平郡町村分合取調』、24-29頁。http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB600209。2018年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f “里見氏を訪ねる 岡本城址”. 南房総市. 2018年5月16日閲覧。
- ^ “元禄地震・大津波から300年 供養碑が語るもの 10 別願院津波慰霊碑 富浦・富山から鋸南の被害”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年9月11日)
- ^ “昔の暮らしいろいろ/八束小学校倒壊 ほか”. 富浦の昔ばなし 第二集. NPO富浦エコミューゼ研究会. 2018年5月16日閲覧。
- ^ “富浦、富山、千倉 3町閉町式 新生「南房総市」へ 住民ら名残惜しむ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年2月27日)
- ^ 「ひろば 郷土の名産 富浦町 初夏を代表するくだもの 房州ビワ」『ニューライフちば』第228号、千葉県広報協会、1982年6月、29頁。
- ^ 「果樹生産日本一町村ビワの里に集う フルーツサミット とみうら’90」『農業富民』1990年9月号、富民協会、1990年9月、24-25頁。
- ^ “フルーツの香りいっぱい富浦町 “びわの郷日本一”を宣言 「サミット」PR”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1990年6月9日)
- ^ ““びわの郷 日本一”アピール 富浦駅前にモニュメント”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年8月25日)
- ^ “「房州ビワ」の直売所 国道127号にお目見え 富浦〜富山町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年5月9日)
- ^ “黄金色の季節 びわの郷富浦から <1>風物詩の直売店 町全体にノレンやノボリ旗”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月13日)
- ^ “黄金色の季節 びわの郷富浦から <4> 人気のビワ狩り”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月16日)
- ^ “アイリス日本一 富浦町が宣言 70年の歴史、年間400万本”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1996年1月22日)
- ^ “母の日を前に出荷追い込み 富浦のカーネーション団地”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 25. (1992年4月30日)
- ^ “母の日前に出荷最盛期 富浦のカーネーション団地”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月9日)
- ^ “浦開け告げるワカメ漁 富浦”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年3月9日)
- ^ “春告げるワカメ漁解禁 300隻が出漁 館山・富浦湾”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年3月10日)
- ^ “内房線富浦駅 (富浦町) 岬とビワの里の新しい駅舎”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 8. (1995年6月2日)
- ^ “道の駅に富浦町 建設省”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 18. (1993年4月23日)
- ^ “産業と文化の発信基地完成 枇杷倶楽部きょうオープン アグリ・リゾート推進 富浦町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年11月28日)
- ^ “「ビワの里」に観光スポット 建設省「道の駅」 富浦に「枇杷倶楽部」完成”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1993年11月23日)
- ^ “大房岬(富浦町) 雄大なパノラマ一望 心地よい潮風”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年4月29日)
- ^ “散歩道 自然 大房岬 崖地性の植物群 地層観察も可能”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 30. (1995年6月16日)
- ^ “360度の大パノラマ 富浦町・大房岬に展望塔が完成 全国自然公園大会の舞台に”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年4月25日)
- ^ “常陸宮ご夫妻迎え 富浦で自然公園大会”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (1995年8月3日)
- ^ 「ひろば 青い海、澄んだ空、あふれる緑 千葉県立大房岬少年自然の家開設」『ニューライフちば』第201号、千葉県広報協会、1980年3月、19頁。
- ^ “「風の神様」に健康祈願 金気神社で例大祭 富浦町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年2月10日)
- ^ “千葉県内初のポックリ観音 富浦町 日蓮宗釈迦寺”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1986年12月6日)
- ^ “「ボケ封じ観音」で大祭 富浦町釈迦寺 お年寄りでにぎわう”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年5月14日)
- ^ “里見氏を訪ねる 宮本城址”. 南房総市. 2018年5月16日閲覧。
- ^ “影絵から文楽まで 富浦”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 21. (1993年8月3日)
- ^ “富浦夏の観光の目玉 10周年迎え記念イベントも 「人形劇フェスティバル」始まる”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1998年8月4日)
- ^ “ちば夏の舞台裏 1 南房総・人形劇フェスティバル 18年かけ新名物に 参加劇団増え町おこし順調”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (2006年9月5日)
- ^ “夢は膨らむ人形劇の郷 富浦町が「地域イベント賞」優良賞受ける 事業展開に弾み”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年9月23日)
- ^ “人形劇通して町づくり 富浦町が自治大臣表彰”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 17-18. (1992年3月18日)
関連項目
外部リンク