小林敦 (野球)
小林 敦(こばやし あつし、1986年2月24日 - )は、静岡県島田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 来歴・人物プロ入り前東海大翔洋中学校時代は2年次に三塁手として第16回全日本少年軟式野球大会でベスト8。3年次からエース投手となる。その後東海大相模高に進学。2年秋からエースとして活躍し、3年夏は県大会ベスト4で敗退。甲子園の出場は叶わなかった。東海大学進学後は3年秋の4勝を挙げるも、4年時は不振だったこともありプロからの指名はなかった。 大学卒業後は七十七銀行に入行。1年目から日本選手権、東京スポニチ大会などで全国経験を果たす。第81回都市対抗野球東北2次予選では、第2代表決定戦の対TDK戦で3安打7奪三振無四球完封で敢闘賞を受賞した。その一方で、銀行員として、同行の県庁支店で窓口業務に就いていた。 2010年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから3巡目指名を受けたことを機に入団[1]。七十七銀行出身者では初めてのプロ野球選手[2]で、入団後には、海外FA権の行使によってこの年限りで退団した小林宏之から背番号41を引き継いだ。なお、指名直後の11月には、広州アジア大会に日本代表として出場。銅メダルを獲得した。 プロ入り後2011年には、チームの新人投手で唯一、春季キャンプを一軍でスタート。公式戦の開幕を二軍で迎えたが、6月8日の対阪神タイガース戦(QVCマリンフィールド)に3番手投手として一軍デビューを果たすと、同月30日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)から先発に転向。7月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(QVCマリンフィールド)に先発で登板すると、7回を被安打2の無失点に抑えて一軍初勝利を記録した[3]。一軍公式戦では先発で6試合に登板したが、この年を最後に一軍のマウンドから遠ざかった。 2012年には、イースタン・リーグ公式戦で主に先発を任されると、5月下旬までの登板で5勝を挙げた。しかし、5月31日の対日本ハム戦(鎌ケ谷スタジアム)では、打者6人に4つの四球を与えた末に1回0/3で降板。この試合を最後に実戦を離れると、8月15日に右肩関節の腱板修復手術を受けた[4]。このため、2013年には実戦から離れて、右肩のリハビリに専念した。 2014年には、イースタン・リーグ公式戦で2年振りに実戦へ復帰。通算で13試合に登板したが、11回3分の1を投げただけで、勝敗は付かなかった。 2015年には、イースタン・リーグ公式戦27試合に登板。0勝1敗、防御率4.67という成績を残した。しかし、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[5]ことを機に、現役を引退した。 ちなみにロッテでは、1988年に小林茂生が入団してから、小林敦に戦力外を通告するまで、28年連続で小林姓の現役選手が必ず1名在籍していた(延べ9名で全て投手)。小林敦が引退した2016年シーズンからは、現役時代にクローザーとして活躍した小林雅英が、一軍の投手コーチとして復帰する。ただし、小林敦への戦力外通告後(2015年12月時点)にドラフト会議やトレードなどで小林姓の選手を獲得していないため、2016年は小林姓の現役選手が29年振りに在籍しなくなった[6]。 現役引退後2015年12月10日に、スカウトとしてロッテと契約することが球団から発表された[7]。地元の東海地区に加えて、北陸地区も担当する[2]。石川ミリオンスターズの安江嘉純が初の担当選手指名となった。藤岡裕大も担当した[8] 2024年からはオリックスの東海地区担当のスカウトを務める。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
登場曲
脚注
関連項目外部リンク
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