岩手 縄美(いわて つなよし/つなみつ)は、戦国時代の武将。武田氏の一族。武田信玄の大叔父に当たる。「縄美」の読みは「つなみつ」である可能性が指摘される。
生涯
武田信昌の四男。甲斐国山梨郡岩手郷(現・山梨県山梨市)を所領としたため、岩手氏と称した。永正2年(1505年)に父が、永正4年(1507年)に長兄・信縄が相次いで死去し、甥(信縄の嫡男)の武田信虎が武田家当主になると、次兄・油川信恵と共に信虎に対して叛旗を翻した。
「三浦家文書」には年実生11月14日付「縄満」発給過所があり、高貴な人物の用いる方形朱印が捺されていることから、縄美発給の文書であるとも考えられている。
『高白斎記』によれば、永正5年(1508年)10月4日の勝山合戦で信虎に大敗し、信恵やその一族と共に戦死した。『一蓮寺過去帳』によれば、法名は「来阿弥陀仏」。『平塩寺過去帳』では「同四郎道端」と記している。これにより、信縄の時代から続いていた武田家の家督相続問題は終焉し、信虎の当主の地位が確立した(『勝山記』『一蓮寺過去帳』)。
岩手家自体は存続を許され、家督は遺児の信盛が継いだ。
脚注
参考文献
- 書籍
- 史料