Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

崎浦村

さきうらむら
崎浦村
廃止日 1936年4月1日
廃止理由 編入合併
三馬村、小坂村、崎浦村金沢市
現在の自治体 金沢市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
石川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 7.24[1] km2.
総人口 2,135
(石川県石川郡誌(1927年)、1924年)
隣接自治体 金沢市、石川郡犀川村内川村
河北郡浅川村
崎浦村役場
所在地 石川県石川郡崎浦村笠舞[2]
座標 北緯36度32分48秒 東経136度40分50秒 / 北緯36.54678度 東経136.68047度 / 36.54678; 136.68047座標: 北緯36度32分48秒 東経136度40分50秒 / 北緯36.54678度 東経136.68047度 / 36.54678; 136.68047
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

崎浦村(さきうらむら)は、かつて石川県石川郡に存在した村。

村名の由来は、この地が古くから「山崎」と言われていたことと、この一帯が江戸時代は「金浦郷」または「石浦荘」に属していたことから、両者から「崎」と「浦」の2字を合わせたものである。

地理

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、石川郡上野新村、牛坂村、大桑郷、笠舞村、山崎領、土清水村、牛首村、三口新村[注 1][3]、涌波新村及び田井村の区域をもって、石川郡崎浦村が発足する[4]。この時に、山崎領は山崎地方に名称を変更する。
  • 1891年(明治24年)11月21日 - 湯涌谷村の区域の内、字舘の区域を編入する。
  • 1936年昭和11年)4月1日 - 金沢市に編入する。この内大字上野新は上野本町[注 2]、牛坂は旭町、牛首は錦町、山崎地方は長谷川町[注 3]、大桑郷は大桑町、涌波新は涌波町に名称を変更する。舘の区域は舘町及び舘山町に分割する。残りの5大字は金沢市の町名に継承。

教育

出身者

現在の町名

住居表示実施地域

  • 三口新町、旭町、田井町、涌波、笠舞本町、花里町、西大桑町の全域と桜町、小立野、笠舞、鈴見台、天神町、城南、菊川、法島町、本多町の各一部。

住居表示未実施地域

  • 上野本町、旭町、大桑町、笠舞町、土清水町、錦町、三口新町、涌波町、舘町、舘山町、大桑新町、つつじが丘、土清水、大桑の全域ともりの里、田上さくら、田上本町の各一部。

脚注

注釈

  1. ^ 三口村(弓取村の字)出身者が移住して誕生した
  2. ^ 現在の小立野3丁目、笠舞1丁目、三口新町3丁目にまたがる所にあった。
  3. ^ 現在の笠舞2丁目の東側に存在した。

出典

  1. ^ 市域の変遷”. 金沢市. 2013年6月21日閲覧。
  2. ^ 帝国市町村便覧(1915年)P.273”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年6月21日閲覧。
  3. ^ 浅野川線 駅の歴史シリーズ(3)” (PDF). 北陸鉄道. 2013年6月21日閲覧。
  4. ^ a b 石川県石川郡誌(1927年)P.1094”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年6月21日閲覧。
  5. ^ 平沢嘉太郎の碑・粟ヶ崎遊園本館ゲート跡”. うちなだ・きてみてねっと - 内灘町商工会. 2013年6月21日閲覧。

参考文献

関連項目

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

Portal di Ensiklopedia Dunia

Kembali kehalaman sebelumnya