布忍神社
布忍神社(ぬのせじんじゃ)は、大阪府松原市にある神社。旧社格は村社。 祭神歴史創建年代は不詳であるが、当社の社記によれば、北18町(約2㎞)にある天美の氏神である阿麻美許曽神社から、速須佐男之尊を白布を敷いて招いたことが由来とされており、社名を「布忍」にして村名を向井としたとある[1]。また、「布忍」の由来は日本書紀にある布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこと、日本武尊の娘)が由来であるともいわれる。それは父の日本武尊の白鳥陵が羽曳野市に、兄の仲哀天皇の岡ミサンザイ古墳が藤井寺市というように布忍の近くに所在していることから推察される説である[1]。 高木(現・北新町3丁目)にある布忍寺東之坊の縁起によると、弘仁5年(814年)に嵯峨天皇の勅願によって空海が布忍寺の伽藍を再建した際、本堂に薬師如来、五重塔に大日如来を祀り、鎮守として牛頭天王(速須佐男之尊)を布忍七カ村の産土神として祀ったとある[1]。 また、 大林寺(現・北新町1丁目)の『布忍山永興寺略縁起』には、「布忍寺は寛治3年(1089年)5月に永興律師を導いた童子が白い布を以って、面をたれて人を忍んで化現した姿で現れたのでこのようによばれた。しかし、のち同寺の永く興然たることを願う故か、あるいは永興律師の草創にちなんで、永興寺とも称されたのである」とある[1]。 こうして、当社は永興寺ともよばれた布忍寺の鎮守社となったが、布忍寺は1873年(明治6年)に廃寺となり神仏分離によって当社は独立し、後に村社に列せられている。なお、現在は布忍寺塔頭であった東之坊が布忍寺の名を継いでいる[1]。 布忍神社、柴籬神社、我堂八幡宮、屯倉神社、阿保神社(ここまで松原市)、阿麻美許曽神社(大阪市東住吉区)の6社で「開運松原六社参り」を行っている[2]。 境内
摂末社
文化財大阪府指定有形文化財大阪市指定有形文化財
所在地
アクセス脚注注釈出典
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