幽霊はここにいる
『幽霊はここにいる』(ゆうれいはここにいる)は、安部公房の戯曲。3幕18場から成る。安部の前期演劇の頂点をなす作品である[1]。戦友の幽霊が見えるという不思議な男と出会った中年男が、「死人の写真 高価買います」というビラを町中に貼って始めた珍商売の喜劇的物語。ユニークな状況設定と通行人をミュージカル風コーラスに使うなど、シュールな手法を駆使した諷刺と幻想のドラマ構成で、幽霊商売が巻き起こす町の混乱がリズミカルに描かれている[2][3]。 1958年(昭和33年)、白水社雑誌『新劇』8月号に掲載された。同年6月23日に田中邦衛主演により俳優座劇場で初演され[注釈 1]、第5回(1958年度)岸田演劇賞受賞。単行本は翌年1959年(昭和34年)6月15日に新潮社より刊行された。翻訳版もドナルド・キーン訳(英題:The Ghost is Here)をはじめ各国で行われ、東ドイツ、ルーマニア、モスクワなど海外各国でも上演されている[4]。 作品成立・主題安部公房は、『幽霊はここにいる』の成り立ちについて、「幽霊という観念、というか、観念としての幽霊というか――それがだんだんつきつめられていって、ひどく物質的な幽霊になった」とし、現代の世の中の動きが、すべて「商品価値というものに解消していく」状況に触れつつ、そういう動向のなかに、はまり込んだ幽霊、つまり「実体のない純粋な商品」のことだと説明し、「じつにナンセンスな世界だが、これが現実でね。そこから人間が結局はのがれていないんだということを、一度洗いだして客観視してみようということでね」と説明し、以下のように語っている[3]。
また、通行人をコーラスに使っている点については、「物体としてのリズムみたいなもの」が頭にあり、ミュージカルらしくないミュージカルというものを意識したと述べている[3]。 さらに安部は、作品内で活躍するのは必ずしも一人だけの幽霊ではないことが分ってもらえるだろうとし、その無数の様々な種類の幽霊たちが、各人の思惑でそれぞれに活躍する様相は、実際この世が、「無数の幽霊たちで充満している」という意味だと説明し、しかし「素朴な合理主義者たち」は、それを〈正体みたり枯尾花〉などと言って、幽霊を軽蔑することを例にとりつつ、「枯尾花はけっして幽霊の正体ではない。樹氷のシンが木の枝であっても、木の枝はけっして樹氷の正体ではないように、枯尾花も幽霊の単なるシンにすぎないのである。幽霊の正体は、もっと複雑なものだ」と主張し、作品主題の〈幽霊〉について以下のように語っている[5]。
演出を担当した千田是也は、芝居の仕組について、「はじめ幽霊というものが歴史的、人間的な意味をもっていたのに、そういう実体的なものが希薄になって、商品としての機能の方がどんどん膨らんでしまう」と述べている[6]。安部はそれを敷衍し、登場人物の深川の空想の中において、「幽霊が意外にリアリスティックな欲望を持っていく」という点に、「人間と人間の関係、どっちが先かという問題の暗示」、「関係のない人間はいない」ということがうまく芝居に出ればいいとし[6]、人間関係の作り出す幽霊の変質、実体がなくなりながら力だけが強くなってゆくという風に、「幻想を再生産する力」を幽霊がもっていると説明しながら、以下のように語っている[6]。
なお、『幽霊はここにいる』は、1957年(昭和32年)5月頃に執筆された未発表小説『人間修行』と、同年12月頃にそれを戯曲化した未発表戯曲『仮題・人間修行』(メモ)を発展させた作品であるという見方もある[7]。 「安部公房をはげます会」発足『幽霊はここにいる』の上演を機に、「安部公房をはげます会」が発足された[4][8]。「安部公房をはげます会」は、1958年(昭和33年)7月15日に草月会館で開かれ、司会は尾崎宏次、参加者は、石川淳、三島由紀夫、林達夫、勅使河原蒼風、土方与志、市村俊幸、花田清輝、十返肇、岡本太郎、開高健、武田泰淳、中野重治、内村直也、野間宏、草笛光子、山本薩夫、山下肇、フランキー堺、小林トシ子、勅使河原宏、芥川比呂志、芥川也寸志、朝倉摂、佐多稲子、佐々木基一、宮城まり子、三和完児、椎名麟三、千田是也、など50余名が集まった[4][8] あらすじ訳あって、ある橋の下で浮浪生活をしていた元詐欺師の大庭三吉は、友の幽霊が見え会話ができるという不思議な男・深川啓介と出会った。深川は、傍らにいる戦友の幽霊の身許を捜していた。幽霊は昔のことは何にも憶えていないのだという。その話から金儲けの食指が動いた大庭は、さっそく深川を連れて、家族のいる海沿いの町・北浜市へ舞い戻って来た。大庭の帰郷を聞きつけた地元新聞社の鳥居弟や選挙が近い市長らは慌てた。彼らは昔、或る偽証事件で大庭と関わりがあり、弱味があったからだった。人殺しの嫌疑のあった大庭は事件のほとぼりがさめるまでの1年間、町を出る約束を鳥居弟とし、そのまま8年間行方をくらましていたのだった。鳥居弟は部下の箱山記者に大庭の動きを見張らせた。 8年ぶりの妻・トシエと娘・ミサコとの再会も早々に大庭は深川と共に、「死人の写真 高価買います」というビラを町中に貼った。深川によると、彼自身には友一人の幽霊しか見えないが、他にも多数の幽霊たちが後をついて来ているのだという。さっそく翌日、死んだ義弟の写真を売りに市民A(主婦)が来た。大庭は死人の特徴を示す「身の上調査票」を客に書かせ、金は1週間後に現金で払う約束の「写真預り証」だけ渡した。そんな調子で集めた写真と幽霊たちを照合する会も夜に行なわれ、深川は幽霊一人一人の戸籍のようなものを作り出した。スパイをしているところを見つかった記者の箱山はその会に同席し、宣伝記事を書くことを約束させられた。 「家なき幽霊に、愛の手を!」という見出しの新聞記事で幽霊騒動はラジオも取材申し込みに来るほどの反響を呼んだ。義弟の幽霊が戻ってくるとまずいことになる市民Aが写真を取り返しに来たが、大庭は逆に高値で買わせた。しだいに写真買取の周旋屋が町だけでも百人以上となり、あちこちで写真泥棒も出た。写真を盗まれた遺族が大庭の店へ買戻しに来たり、その他にも幽霊講演依頼や探偵依頼、身の上相談、病気治療など幽霊商法は大繁盛となった。大庭は市長や鳥居兄弟らを理事にした「幽霊後援会」を設立させた。そんな折、死んで幽霊になった後の言伝まで遺書に書き、実験的に崖から飛び降り自殺する男まで現われた。大庭はそれをヒントに幽霊保険や幽霊服のアイデアが浮ぶが、記者の箱山は大庭や鳥居らに、「幽霊なんて、いやしない」と苦言をさした。箱山は新聞社を首になった。 自ら幽霊後援会の二代目会長となった幽霊は、ラジオの生放送中に次は市長になりたいと意思表示し、大庭の娘・ミサコと結婚したいとまで言い出した。いやがるミサコは人殺しの目撃者の件で父親を脅迫した。困った大庭と市長は幽霊服のファッションモデルの女に幽霊を誘惑させようとした。そこへ吉田という名字の老婆(深川の母親)と、本物の深川啓介がやって来た。戦友の幽霊は生きていたのだった。自分が深川だと思っている吉田は、戦時中の南方のジャングルで自分のせいで戦友(深川)が死んでしまったのだと思い込んでいたのだった。飢餓状態のジャングルで精神的に混乱し苦しんだ吉田は、頭の中で本物の深川と自分を入れ替えて記憶したまま戦後を迎え、その後、精神病院から飛び出していたのだった。その話を本物の深川から聞いた吉田は、鏡を見せてくれとミサコに頼んで自分の顔をまじまじと見つめた。 自分が吉田で、戦友が深川であることを認識した吉田の傍らから幽霊が消えた。幽霊がいなくなり慌てる一同に、「呼ばなくたって、ここにいるよ。幽霊はここにいる」と本物の深川が言った。本当は幽霊と離れたかった深川(吉田)と、深川が幽霊から解放されることを願っていたミサコはお互い気持が通じ合い、本物の深川や、互いの親たちと一緒に幽霊会館から出て行った。幽霊がいなくなり、大庭に見捨てられた鳥居兄弟と市長らは怒るが、モデル女の、「どうせはじめっから、いやしなかったんでしょう。…いることにすりゃいいんでしょう?」という言葉で活気づき、そのまま幽霊商売を続け出した。そのことを箱山は大庭たちに教え、目撃者の件で市長たちをひっくり返せばいいと正義ぶるが、大庭の妻・トシエは、幽霊後援会の理事は夫だと居直った。トシエは、実は自分が目撃者だったことを夫にバラし、「あんたも幽霊が見えることにしちゃったらいいじゃないの」と、幽霊商売を続けることを勧めた。元気になった大庭は、金縁の老眼鏡をかけた海坊主みたいな幽霊さんが見えると言い、トシエと一緒に、「幽霊が見える、見える」と町でふれ歩く。 登場人物
作品評価・解釈清水邦夫は、『幽霊はここにいる』に登場する「幽霊そのもの」が何を意味するか、という「象徴主義的な」捉え方はナンセンスで、そういった「哲学的価値判断」の観点は作品そのものへのアプローチをすでに最初から間違えてしまうことになるとし、『幽霊はここにいる』は、そういう判断がずっと背後に押しやられた世界だと解説している[1]。そしてそこが単なる「諷刺劇」と大きく違うところで、「安部公房が常に目ざす、実在物のような顔をして日常の中をうろついている(非実在物)の姿をあばき出す作業の優れた有効性を示すところ」だと説明し[1]、そういった「実在物のような顔をしている非実在物の発見」は、「今日の状況の複雑な相」を新しいユニークな視点からいくつも重ね合せて衝突させるところからなされるものであり、その内容は、「思いもかけぬ出会いに満ち満ちた巨大な“迷路”としかいいようのない、そら恐ろしいもの懐深いもの」に思えると評している[1]。 高橋信良は、『幽霊はここにいる』の元となったとされる小説『人間修行』や未発表戯曲『仮題・人間修行』と比較し、元作品では幽霊が実体を持ち、観客や読者の「感情移入の対象」となっているのに対し、『幽霊はここにいる』の幽霊には「ブレヒト的な異化効果」が機能しているとし[7]、観客を「何者にも同化させない効果」として、論理的な人物(ミサコ)が重要な役割を果たし、唯一、幽霊が見えていた深川も、「幽霊のおかげで論理的にならざるをえない」人物であり、深川(実は吉田)は、「観客の代わりに幽霊の論理化を試みる」存在だと説明している[7]。そして高橋は、安部公房自身が〈幽霊たちの事業が、ますます繁栄を約束されたところで、幕になるのである。幕がおりた瞬間、舞台と観客とは、完全に逆な方向をむいている〉[9]と語っている構図を鑑みながら、「深川にとっての幽霊は、論理化されて消滅することで、枯尾花となってしまう。しかし、深川が観客という存在のパロディ的役割を果たすとき、枯尾花でない〈幽霊より強い幽霊〉は消滅しない」と解説している[7]。 おもな公演
おもな刊行本
脚注注釈出典
参考文献
|