徳大寺 伸(とくだいじ しん[1][4]、本名・寺田静夫[1][2]、1911年〈明治44年〉10月5日[1][4] - 1995年〈平成7年〉7月19日[3])は、日本の俳優[3]、実業家。慶應義塾大学中退[1]。
赤坂の料亭「金林」を営む寺田きんの店に、歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎がよく訪れていたのがきっかけで、実弟である後の七世尾上梅幸が養子となる。
慶應義塾大学中退後、1932年に松竹に入社[注釈 1]。当初は文芸係兼舞台監事として勤務していたが[4]、松竹社長の大谷竹次郎の推薦で俳優に転向。松竹蒲田撮影所に転籍する[1]。翌年、『大学の若旦那』でデビュー[1][4][3]。当初の芸名は大綱豪であったが、名前が強すぎるとのことで、徳大寺伸に変更する。芸名の由来は、徳大寺の大は当時の松竹社長であった大谷社長の大の字をとり、伸は長谷川伸の伸の字をとったとのことである。
松竹時代は、佐分利信や上原謙等と共に現代劇の二枚目俳優として数々の映画に出演。五所平之助監督の『朧夜の女』、『花籠の歌』での繊細な演技は評判となった。映画『暖流』での冷徹な医師も有名である。1943年に応召。
戦後にフリーとなると脇役に回り1956年以降、東映京都撮影所に拠点を置き[注釈 2]、何百本もの時代劇映画に出演する。東映時代劇を支えた一人である。
1965年以降、糖尿病に罹患し、それに伴う視力の低下などで現役俳優としての活動をセーブし、映画・テレビジョン等への出演を控えていた。俳優を引退した後の1974年にタレント養成所全映芸文社を設立し、浅野温子や久保田早紀などを送り出した。墓所は池上本門寺。
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