斉藤光浩
斉藤 光浩(さいとう みつひろ、1958年2月3日 - )は、日本のギタリスト・作曲家・音楽プロデューサー[1][2]。出身は神奈川県大和市[3]。 来歴1974年にアイドルロックバンド「DO.T.DOLL」(ドゥー・ティー・ドール)のリードギター兼ボーカルとしてプロデビューするが、1975年DO.T.DOLLを解散[3]、翌1976年に結成されたハードロックバンドBOWWOWに始動メンバー4人のうちのひとりとして、ギター兼ボーカルで参加する。海外の音楽シーンにおける活動を含む7年間を経て1983年にBOWWOWを脱退し、ARBに加入するが1986年にはARBから脱退。北島健二の後任として甲斐よしひろ and Project Kに参加。甲斐バンド解散後に同ユニットに参加していた田中一郎とのツインギターとして活動。その後、同じく同ユニットに参加していた上綱克彦とともに田中一郎のソロ活動に参加。そこから派生したバンドユニットONE BOY PLAYERSにも参加。1991年にはソロデビューを果たし、1995年には再び田中一郎のバンドKIT16に加わるが、こちらにはベーシストとして参加している[1][2]。 1998年に再結成したBOWWOWには、オリジナルメンバーの山本恭司、新美俊宏とともに合流しつつ、ソロ活動の他ユニットやバンドに参加、色々なジャンルで作曲・編曲を提供、『幻想魔伝最遊記』のイメージアルバム・ボーカルアルバム、くず『くずアルバム』、宇都宮隆『TEN to TEN』にディレクターとして参加。A-SIDE[4]、ガールズバンド「HOT BITCH's MARIE」等、多数のミュージシャンやバンドをプロデュース、洗足学園音楽大学や自ら主宰するMSMC(「ミュージシャン、クリエーター、プロデューサーのためのプロツールス・マスタースクール」)で後進の指導にあたっている[1][2]。 ディスコグラフィーソロ
バンド、セッション、ユニット、コンピレーション
→詳細は「BOWWOW § ディスコグラフィ」を参照
脚注出典
|