新岩国駅
新岩国駅(しんいわくにえき)は、山口県岩国市御庄にある[1]、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽新幹線の駅である。 概要1975年の山陽新幹線岡山駅 - 博多駅間開業の際に設けられた駅の一つで、当時開業した駅の中で唯一、新幹線単独駅とされた駅である(新尾道駅・東広島駅は1988年の開業)。当駅から徳山方すぐのところに錦川鉄道錦川鉄道線の清流新岩国駅(旧国鉄岩日線の御庄駅)が所在しているが、開業当初から同一駅扱いとはされなかった(後述)[4]。 営業キロ上は岩国駅と同一駅の扱いとされており[1]、途中下車が可能なきっぷであれば選択乗車制度により岩国駅と新岩国駅の間を移動して乗り換えることができる。事務管コードは▲800665[5]。 歴史沿革岩国地区は、広島 - 徳山間のほぼ中央に位置しており、沿岸部では工業地帯を有していることから、駅設置の必要性が考えられていた[6]。山陽新幹線の建設に関するルート選定の際には、岩国駅に併設する案と現在の新岩国駅を設置する案の2つが主に議論されたが、岩徳線西岩国駅に併設する案も存在した[6]。 西岩国駅に併設する案はルート選定での問題から除外され、岩国駅に併設する案は、線路延長が3.5 km長くなることや工事費用が増加する点、市街地を通過するために用地買収が困難になることが予想される点、曲線半径2,500 mのカーブを挿入する必要性からの速度向上への妨げとなる点が考えられた[7]。当駅新設の場合、乗降客が少なくなるという点が問題となったが、田畑が広がる広大な土地であることから用地買収が容易に行え、運行上必要な保守基地の設置が可能である点を考慮し、決定された[8][注釈 1]。 年表
駅構造16両編成対応(ホーム長410m)の単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線[14]のホームを有する高架駅である[15][16]。 2番のりばと3番のりばの間に上下通過線を挟み[14]、1・2番のりばが上り島式ホーム[14]、3番のりばが下り単式ホームであるが[14]、下り副本線を増設すれば2面4線化も可能[16]。レールの錆取りのため、この1番のりばから発車する当駅始発の列車が朝に1本設定されている(「こだま」838号新大阪行き)[17]。本線から回送線が分岐し、さらに留置線2本と保守基地線(新岩国保守基地)に分岐する[14]。 山陽新幹線内では最も早く自動改札機が導入されたが、列車案内は反転フラップ式案内表示機が当駅開業時から2007年(平成19年)まで使用されていた。 改札口は1か所のみで、出入口も西側のみ。岩国駅管理の直営駅である。 のりば
新幹線ダイヤの変遷
利用状況近年の1日平均乗車人員は以下の通り。山陽新幹線の駅では最も少なく[1][22]、JR西日本管内の新幹線の駅(2022年時点)では北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅(858人、2019年度)の次に少ない[23]。
駅周辺長大なトンネルに挟まれた岩国市西部・御庄地区の盆地の中に所在する[24]。 当駅の北方を錦川と国道2号がほぼ西から東に向かって通っており、S字蛇行をしながら、当駅の約1 km広島方寄りのところで新幹線高架とほぼ直角に交差している。当駅自体はこの「錦川・国道2号」と、残り3方はほぼ山に囲まれる格好となっている(山が囲む“残り3方”のうち東側のみ山麓を御庄川が流れている)[24]。 当駅の東方を山口県道1号とそのさらに東を山を貫く形で山陽自動車道が、西方を旧街道の山陽道(西国街道)がそれぞれ通っており、このうち山陽道は南方で前出山口県道1号線と合流している。また当駅の駅前広場は山口県道114号の起点になっている[24][25][26]。
バス路線駅前広場に「新岩国駅」という停留所があり、そこから路線バスが発着する。日本三名橋の1つに数えられる錦帯橋までは、当駅からバスで約15分である[27]。 ※各路線とも、西岩国駅への乗り入れは行なっていない(※ 清流新岩国駅(旧・御庄駅)との関係前記の通り、当駅の徳山方に清流新岩国駅が置かれている[4][13]。第三セクターの錦川鉄道に転換後2013年(平成25年)3月15日までは「御庄駅」と称され[13]、当駅開業の14年以上前の1960年(昭和35年)11月1日に国鉄岩日線川西駅 - 河山駅間が開通したことに伴って開業している。 当駅から清流新岩国駅まで現在は約300mの連絡通路が設けられているが[13]、旧国鉄(JR)時代には互いに別個の駅とされ、乗換駅として認知されることはなかった[4][13]。このためか、相互の乗り換えは基本的に考慮されていない[30][31]。 新幹線駅と在来線駅が互いに近接していながら別々の駅とされた事例は、2016年(平成28年)3月26日に北海道新幹線が開業して新幹線奥津軽いまべつ駅と在来線津軽二股駅(津軽線)が互いに近接関係にあることが知られるまで、「当駅⇔旧・御庄駅」のケースが全国唯一だった[30]。 旧国鉄・JR時代に当駅と旧・御庄駅が別個の駅として扱われたことについて、鉄道紀行作家の宮脇俊三は自著の中で「ひょっとすると、新幹線と正式に結びつけてしまったら岩日線を廃線にしにくくなるからではないか。岩日線など雨で流されてしまえ、と思っているかもしれない」との見解を示しているほか、カメラマンの西森聡も自著の中で、1975年に山陽新幹線博多延伸に伴って当駅が開業した時点で岩日線が既に赤字ローカル線となっていたことを踏まえ「消えゆく路線上にあった御庄駅を、改築したり、新たな連絡通路を設けたりして、乗換駅にすることは叶わなかっただろう」と漏らしている[32][30]。 隣の駅脚注注釈出典
利用状況
参考文献
関連項目外部リンク
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