新神谷橋(しんかみやばし)は、東京都足立区の隅田川にかかる都市計画道路環状七号東京都道318号環状七号線(環七通り)の橋(水道道路併用橋)である。
概要
橋長153.0メートル、3径間の鋼鈑桁橋の1等橋(TL-20[1])である。橋の右岸側には延長139.1メートルで幅員10.0メートル、左岸側は延長444.3メートルで幅員10.0メートルの取り付け道路を有している[1]。また、水道道路併用橋でもあり[1]橋に付帯設備として内径1.2メートルの水道管を4本(送水本管2本、工業用水道管2本)併設し、水道橋の役割も持ちあわせている[1]。
また、災害時に防災拠点等に緊急輸送を行なうための、東京都の特定緊急輸送道路に指定されている[2]。
北岸は足立区新田(しんでん)2丁目、南岸は北区神谷1丁目に位置する。橋名は北区の地名にちなむ。岩淵水門の管理橋を別とすれば、隅田川最上流の橋となる。
諸元
- 種別 - 鋼道路橋
- 形式
- 上部工 - ゲルバー(カンチレバー)プレートガーダー/単純活荷重合成プレートガーダー橋
- 下部工 - RC躯体/鋼管杭基礎(外径600 mm、長さ14.0-16.5 m)[1]
- 橋長 - 153.0 m[3]
- 総幅員 - 21.0 m[4]
- 有効幅員 - 20.0 m(車道8.0 m、歩道2.0 m)
- 径間割 - 46.0 m + 61.0 m + 46.0 m
- 開通 - 1965年(昭和40年)2月12日[3]
- 事業主体 - 東京都
歴史
もともと「宮堀の渡し(神谷の渡しとも)」があったところである。現在の位置より100メートルほど南の王子神谷駅付近の神谷堀(甚兵衛堀とも呼ばれる)に昭和2年(1927年)に木鉄混交の橋として架けられた「神谷橋」があり、のち昭和25年(1950年)に鋼桁橋として改架された。新しく隅田川に架けることとなった当橋はこの名称にちなむ。昭和52年(1977年)に神谷堀が埋め立てられ廃橋となったことから、現在は神谷橋は現存しない。ちなみに、「神谷橋」の名は東京メトロ南北線王子神谷駅の仮称としても使われていた。
橋は首都圏整備整備の一環として第一期工事が1962年(昭和37年)10月着工された。1965年(昭和40年)の創架当初は仮開通状態で、片側1車線の幅員10.0メートルであったが、1967年(昭和42年)2月[5]にはすぐに追加の拡幅工事が行われ、現在の幅員となった。橋桁制作は松尾橋梁[5]下部工は坂田建設が行なった[1]。
路線バス
- 都営バス
- 王49 王子駅 - 北区神谷町 - 江北陸橋下- 西新井大師 - 梅島駅 - 千住車庫
- 王49 王子駅 - 北区神谷町 - 江北陸橋下 - 江北駅(平日朝のみ)
- 王49折返 王子駅 - 北区神谷町 - 江北陸橋下 - 西新井大師 - 足立区役所
- 東武バスセントラル
- 王30 王子駅 - 北区神谷町 - 江北陸橋下 - 西新井大師 - 綾瀬警察署 - 亀有駅北口(日中2往復のみ)
- 深夜31 王子駅 → 北区神谷町 → 江北陸橋下 → 西新井大師 → 西新井駅(平日深夜のみ)
- 国際興業バス
- 赤25 赤羽駅東口 - 東十条四丁目 - ハートアイランド循環
- 赤25-2 赤羽駅東口 → 東十条四丁目 → ハートアイランド西 → ハートアイランド東(夜間のみ)
- 赤25-3 ハートアイランド西 → ハートアイランド東 → 東十条四丁目 → 赤羽駅東口(早朝のみ)
- 赤26 赤羽駅東口 - 東十条四丁目 - 加賀団地 - 舎人団地
- 赤27 赤羽駅東口 - 東十条四丁目- 江北陸橋下 - 西新井大師 - 西新井駅
- 赤27-2 赤羽車庫 - 東十条四丁目 - 江北陸橋下 - 西新井大師 - 西新井駅
- 赤27-3 赤羽駅東口 → 東十条四丁目 → 江北陸橋下(土曜夜間のみ)
隣の橋
- (上流) - 岩淵水門 - 新神谷橋 - 新田橋 - 新豊橋 - (下流)
脚注
参考文献
関連項目
- 水道道路
- 鹿浜橋 - 本橋のすぐ東側にある環状七号線の橋梁。本橋と同様に水道管を4本併設する。
座標: 北緯35度46分15秒 東経139度44分10秒 / 北緯35.77083度 東経139.73611度 / 35.77083; 139.73611