公益社団法人日本薬理学会(にほんやくりがっかい、英名 The Japanese Pharmacological Society)は、薬理学の進歩を図るため1927年に設立された学会(1994年より公益法人)。
事務所を東京都文京区弥生2-4-16に置いている。
事業
- 学術集会・講演会等の開催、学会誌等刊行物の刊行、研究の奨励・研究業績の表彰、 薬理学に関する研究・調査、国内外の関連学術団体との連絡及び協力など[1]
歴史
- 1890年(明治23年)- 4月に1週間にわたり第1回日本医学会が開催。薬物学分野から猪子吉人が「菌類中毒説」を、また高橋順太郎が「薬物学研究ノ方針」を講演。この会の準備には帝国大学医科大学薬物学教室教授高橋順太郎が五十数名の「招聘員」の一人として参画した。
- 1893年(明治26年)- 第2回日本医学会が開催
- 1902 年(明治35年)- 新たに日本連合医学会が創立され、16部構成の第4部に「薬物学、薬学」が参加して第1回日本連合医学会が開催
- 1906年(明治39年)- 第2回日本聯合医学会では、薬物学は生理学、医化学とともに第2分科会を構成したが、第2分科の学術集会は開催されなかった。
- 1910年(明治43年)- 大阪で第3回日本医学会が開催。連合形式を廃止し一学会となった。第2分科会で、実質的には初めて薬理学の研究発表がなされたと言われている。
- 1914年(大正3年)- 第4回日本医学会で、高橋順太郎が第2分科会長を務めた。
- 1920年(大正9年)- 薬理学会の独立を提案したと言われている薬理学博士の高橋順太郎が急逝。
- 1922年(大正11年)- 第6回日本医学会では、京都帝国大学医学部薬物学講座教授森島庫太が第2分科会長を務めた。
- 1926年(昭和元年)- 第7回は分科会が独立し、分科会長は東京帝国大学薬物学第二講座教授林春雄で、演題数34題であった。ここで単独の分科会が第4部として開催され、そこで日本薬理学会の設立が決定された。大学及び医学専門学校の薬物学講座を単位とすること、各講座主任が評議員となり、回りもちで会長を務め毎年1回学術集会を開くことを決め、全国の29講座が参加した。
- 1927年(昭和2年) - 林春雄を初代会長として組織が設立[注釈 1]。
- 1941年(昭和16年) - 日本薬物学雑誌(Folia pharmacologica japonica)を機関誌として発行。
- 1994年(平成6年)- 社団法人化
- 2012年(平成24年) - 内閣府所管の公益社団法人化
機関誌
- 『日本薬理学雑誌』(和文、年12回)
- 『Journal of Pharmacological Sciences』(英文、年13回)
歴代年会長
関連項目
脚注
- 脚注
- 出典
外部リンク