大阪大学
大阪大学(おおさかだいがく、英語: Osaka University[注釈 1])は、日本の大阪府にある国立大学である。略称は阪大(はんだい)。 国内の旧帝国大学7校の1つであり、文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校ならびに指定国立大学法人に指定されている。 概観大阪大学は、1931年に大阪帝国大学として設立された[2]、国立文理総合大学である。2023年4月現在、11学部・15研究科(うち1研究科は他大学との連合)を擁する。 帝国大学としては比較的新しく、開学当初は医学部と理学部のみで創設された。文理5学部(文学部、法経学部、理学部、医学部、工学部)体制となったのは第二次世界大戦後の1949年のことである。 設立の際に統合した旧大阪医科大学が、江戸時代後期の1838年に緒方洪庵により設立された適塾の流れを汲むことから、大阪大学は適塾を源流とするとしている。また、1724年設立の懐徳堂の蔵書類が、戦後に文系学部に提供されたこともあり、この学問所の流れも汲むものとされる。 設立当初は東京をしのぐ大都市であった大阪に、関西財界や府民の熱意ある活動の末、民間の意思と財源により創設されたことから、市民精神の息づく大学であるとされる。こうした経緯を踏まえ、「地域に生き世界に伸びる(英語: Live Locally, Grow Globally)」をモットーとしている。 かつて大阪大学は、その創設の地である大阪・中之島を本拠とし、多数の部局が大阪各所に点在する典型的な蛸足大学であった。1993年の医学部および医学部附属病院を最後に、豊中キャンパスと吹田キャンパスの2キャンパス(共に千里丘陵に位置する)への移転統合を完了した。 2007年10月1日には大阪外国語大学と統合し、箕面キャンパスに大学院言語文化研究科、世界言語研究センター[注釈 2]、外国語学部を設置。なお、箕面キャンパスは2021年、同じ箕面市内の北大阪急行電鉄箕面船場阪大前駅前に全面移転している[4]。 国立大学法人で外国語学部を設置しているのは、大阪大学のみである[注釈 3]。また1学年あたりの学部学生定員は、2020年度に国立大学で最多の3255人となった(2位は東京大学で3063人)[5](2021年度においても同じ[6])。 沿革懐徳堂・重建懐徳堂の系譜大阪大学では、懐徳堂(1724年設立)とも関係があるとしている。懐徳堂は1869年に閉鎖されるが、1910年に懐徳堂記念会が設立された。最後の預人・中井桐園の嫡子・中井天生(中井木菟麻呂)らの尽力で、1916年の重建懐徳堂の設立により再興を果たした。太平洋戦争後の1949年に、懐徳堂記念会が懐徳堂蔵書を大阪大学に寄贈したことで両者の繋がりができた。現在、財団法人懐徳堂記念会事務局は大阪大学文学部内にあり、大阪大学が初期の懐徳堂に関するものも含めて管理している。 総合大学への統合1903年、大阪高等医学校が浪華仮病院(1869年設立)を改組して設立された。1919年には府立大阪医科大学に昇格した。この府立大阪医大を中核とした帝国大学設立の動きが起こり、1931年には府立医大を医学部とし、理学部を加えた2学部よりなる「大阪帝国大学」が発足、総合大学への道を歩み出すこととなった。 その一方で、明治期の大阪では、適塾を源流とする医学校のほかに、1896年に設立された大阪工業学校が実業教育を行っており、これが旧制専門学校(高等教育相当)である官立大阪高等工業学校への改組(1901年)を経て、大正期以降の高等教育拡充ブームのなかで、1929年には大阪工業大学に昇格した。 設立間もない大阪帝国大学は、1933年に官立大阪工大を合併して工学部を増設したが、戦時期の発足という事情もあって理系学部中心の帝国大学となった。 1949年、大阪帝大を中心に、旧制高等学校であった府立浪速高等学校・官立大阪高等学校、旧制専門学校であった私立の大阪薬学専門学校の合計3校を包括し、文理5学部よりなる新制大阪大学が新たに発足した。経済学部(1949年法経学部、1953年分離)は戦後設置されたこともあり、近代経済学の研究・教育に特化。マルクス経済学が一定の勢力を維持していた旧帝国大学のなかでは、異色の存在だった。 2004年に国立大学法人化し、2007年10月には大阪外国語大学と統合した。旧国立大で14組目の統合で、旧帝大では2003年の九州大学と九州芸術工科大学に次ぐ2組目。2018年10月、指定国立大学法人に指定される。 年表江戸時代明治
大正
昭和
平成
令和
基礎データ所在地全て大阪府内に所在。 学章大阪大学の学章は、大阪府の象徴の木である銀杏の葉をモチーフに、「OSAKA」のOを偲ばせたもので、知性と格調を失うことなく、大学、学生、市民へと連なる親近感を表現したものである。制作は田中一光(グラフィックデザイナー)。1991年に創立60周年を記念して制定された。大学関係者からは、しばしば「銀杏マーク」と称される。 なお、現学章の制定以前には、交差した二枚の銀杏の葉の意匠に「大学」の文字が重ねられた紋章(以下「旧学章」という)が存在した。これは、旧制大阪医科大学で用いられていた銀杏マークを基にして、大阪帝国大学時代に制作されたもので、正式の学章として定められたものではなかったが、体育会系クラブの部旗や学生証の刻印等、随所に多く用いられ、正式なものに準じた扱いであった。この旧学章は、現在でも人間科学部正面玄関の屋根部レリーフに見ることができる他、歯学部附属病院のエレベータ扉にも類似の意匠が施されている。 スクールカラースクールカラーは、スカイブルーとし、Munsell BooK of Colorの色番7.5 PB3/12(マンセル・カラー・システム)を標準とする。現学章を使用する場合は、原則として、スクールカラーを用いるものとする(この色番は、現行の大阪府旗の地色と同じであり、実際には群青色に近い)。学章と同じく、1991年に制定。 学歌大阪大学には、正式に定められた学歌は存在しない。入学式等では、代わりに『大阪大学学生歌』が歌われる。その他、主に体育会関係者に愛唱される幾つかの応援歌がある。 マスコットキャラクター1964年に大阪大学豊中キャンパス理学部の待兼山新校舎工事現場にて発見されたワニの化石(マチカネワニ)を元に「ワニ博士」が誕生した[16]。公式グッズなどに使用されている。 組織学部・研究科内の学科・専攻・附属施設等は、各項目のリンク先を参照。 学部大学院研究科
国際共創大学院学位プログラム附属図書館→「大阪大学附属図書館」も参照
総合図書館、生命科学図書館、理工学図書館、外国学図書館の4つがあり、全体で約390万冊の蔵書、7万種類の雑誌を擁している。 図書の返却は借りた館以外でも可能で、上記4館に加え、人間科学研究科図書室、蛋白質研究所図書室、産業科学研究所図書室が「どこでも返却サービス参加館」である。また、この他にも約20の図書室・資料室がある。 附置研究所
学内共同教育研究施設
全国共同利用施設
その他
東京オフィス首都圏における活動の拠点。学生、教職員の他、卒業生が利用可能。東京都千代田区霞が関に事務所がある[20]。 学生生活部活動・サークル活動大阪大学公認団体としては、2023年3月9日時点、体育系58団体(統括組織「大阪大学体育会」、会員数:約6,000人)、文化系73団体(統括組織「大阪大学文化会」)があり[21]、また、大学祭のために「大阪大学大学祭中央実行委員会」も組織されている。 豊中キャンパスにおいて、クラブ・サークルの部室として使用される「明道館」は、共通教育機構イ号館とともに旧制浪速高校の遺構の一つである。2000年頃よりコンセントにたまった埃が原因と思われる火災が度々発生しており、豊中北消防署から改善が求められた[22]。2008年にも連続火災が起こっている[23]。 学園祭大阪大学では春と秋にそれぞれ学園祭を開催。現行の公認学園祭は、いちょう祭、まちかね祭、中之島祭の3つ。 いちょう祭5月1日の大阪大学創立記念日を祝い、例年5月上旬にかけて実施される創立記念祭の愛称。新入生を歓迎する催しとしての意味もある他、豊中・吹田の両地区で大学施設の一般公開も行われ、小さな学園祭の様相を呈する。模擬店などの諸行事は、大学祭中央実行委員会主催の下、豊中キャンパスでのみ開催される。授業は休講となるが、大学祭としては、まちかね祭の方が盛大に開催される。学部によってはいくつかの研究室が毎年輪番で研究室の研究内容を公開する。マチカネワニが見られる数少ない機会の一つであったが、2004年総合学術博物館の改装により常に見られるようになった。 まちかね祭11月初め頃に行われる大学祭。大学祭中央実行委員会が主催。豊中キャンパスを主会場として開催される。長らく大学当局に公認されず、「体育文化週間」と名付けられた秋の一斉休講という位置付けであったが、現在では公認の大学祭となっている。いちょう祭よりも大規模に開催され、大学祭らしい雰囲気となる。待兼山からとられた名前は1996年に公募で決定された。 中之島祭医学部が主催。吹田キャンパス内の医学部施設周辺で11月中旬に行われる。医学部・医学部附属病院が中之島にあったことに由来するが、医学部の吹田移転により一時は名称を「吹田祭」としていた時期があった(現在の吹田祭は、下記の工学部が主催するものを指す)。医学部らしい展示・体験コーナーが特徴であるが、吉本興業の芸人4人から6組の無料野外ステージでも知られる。 夏まつり旧箕面キャンパスで行われていた、夏まつり実行委員会が実施する大学祭。7月上旬開催。ステージ企画や模擬店などの通常の大学祭の要素に加え、盆踊りなどの夏まつりらしい企画も行われている。
吹田祭主に工学部が主催。10月下旬から11月初旬にかけて吹田キャンパスの工学部地区で行われ、学生と教員の双方が企画運営するのが特徴である。演奏会、講演会、落語会(落語家を招聘する本格的なものである)、スポーツ大会などが行われる。 その他その他、下記の小規模な学園祭もある。
スポーツ
大学関係組織生活協同組合大阪大学には大学生協(大阪大学生活協同組合、略称:阪大生協)があり、各キャンパスに店舗(食堂や売店も含む)があり、サービスを提供している。2008年2月までは、大阪外国語大学生活協同組合も並存し、箕面キャンパスで営業を続けていた。 同窓会学部・研究科・専門ごとに細かく、数多くの同窓会がある。2005年7月25日に「大阪大学同窓会連合会」が設立された。代表的なものは以下の通り。 大阪大学出版会大阪大学事務局内に事務所がある。詳細は「大阪大学出版会」参照。 大学関係者一覧施設かつて大阪大学は、その創設の地であり、前身たる適塾の所在地でもあった大阪・中之島を本拠とし、多数の部局が大阪各所に点在する典型的な蛸足大学であったが、1993年の医学部および医学部附属病院を最後に、豊中キャンパスと吹田キャンパスの2キャンパス(共に千里丘陵に位置する)への移転統合を完了した。2007年10月1日から、大阪外国語大学との統合により、箕面キャンパスが発足した。なお、旧キャンパスであった中之島には、2004年4月に、土地面積1,000m2、建物延床面積8,158m2[28]の「中之島センター」が開設された。 医学部・歯学部が大阪中心部から郊外へ移転したことは、患者の利便性に影響をもたらした[注釈 10]。大阪市福島区にあった医学部附属病院の跡地は、大阪法務合同庁舎が建設され、2008年に朝日放送の本社・スタジオが移転し、約1200席のホールや高層マンションも併せた再開発街区ほたるまちがオープンした。 豊中キャンパス教養課程と大学院の一部が設置されているキャンパス。 →「大阪大学豊中キャンパス」を参照
吹田キャンパス
万博記念公園の北西に隣接するキャンパスで、吹田市山田丘と茨木市美穂ケ丘にまたがる。1966年より造成が開始され、1968年に工学部、1975年に薬学部・人間科学部、1980年に本部(事務局)、1983年に歯学部および歯学部附属病院、1993年に医学部および医学部附属病院がそれぞれ吹田キャンパスへ移転した[29]。敷地内は、北部の大半を工学部、東部を医学部、南部を薬学部・歯学部・人間科学部が占める形になっている。かつて医学部移転前は微生物病研究所に附属病院が設置されていたが、医学部附属病院と統合されて廃止された。 サークル活動は基本的に豊中キャンパスで行われることが多いが、多くのテニスコートがあるためにテニスサークルの一部は吹田キャンパスで活動を行っている。また体育会系サークルも吹田キャンパスで活動を行っている。 食堂は生協が運営する学生向けのものだけで6箇所あるが、工学部には千里阪急ホテルやリーガロイヤルホテル直営のレストランもある。 「たけのこ保育園」と「まきば保育所」がキャンパス内に設置されている。 土地面積は997,110.72m2[28]。公的文書等では「吹田1団地・吹田2団地」と称される[30]。
箕面キャンパス
土地面積は8,000m2[28]。公的文書等では「箕面団地」と称される[30]。 箕面旧キャンパス
外国語学部の中心にある花崗岩の大階段は、「墓石階段」とも呼ばれている。正門から続く坂は、現在でも「外大坂」と呼ばれている。3つある門にある大学名のプレート(北門は看板)の字体は、隷書体である。 敷地面積は140,400.04m2[36]。公的文書等では「箕面団地」と称される[30]。
キャンパス移転箕面旧キャンパスは施設の老朽化に加え、学生人口の大幅な減少で余剰となっていることもあり、大阪大学90周年で「大阪外国語大学100周年」の2021年4月、北大阪急行電鉄の延伸部の新駅箕面船場阪大前駅東側の高層ビル型キャンパスに全面移転することとなった[37]。 新しい箕面キャンパスは、旧キャンパスから南西に約4kmの距離で、豊中・吹田キャンパスの中間にある「大阪大学が世界に向かう『ヘッドクオーター(司令部)』となるポテンシャルを持つ場所」(平野俊夫総長)に、都市型キャンパスとして整備される[38]。駅前の土地区画整理事業地の一部を箕面市が買収し、旧キャンパス跡地と交換する。再開発地域は図書館や市民施設、アパートなどが作られる[39]が、その一角のビル1棟が外国語学部となり、隣の1棟が寮および留学生会館となる[40]。また、箕面市と大阪大学、卸商団地組合が連携し、スポーツ科学・ヘルスケアの拠点施設「関西スポーツ科学・ヘルスケア総合センター(仮称)」も整備される[41][38][42]。 キャンパス移転先の船場東地区では、卸商の数で4割減った繊維卸商団地組合が1964年設立時から北急の延伸を要望しており、2008年箕面市長に就任した倉田哲郎が北急の延伸実現を選挙公約に掲げ、同地区への箕面キャンパス移転を大阪大学に働きかけていた。 旧キャンパス移転後の跡地は、箕面市が“無秩序な乱開発の防止”及び“周辺に広がる良好な住環境の維持”を目的としていったん保有した。その後、箕面市が「大阪大学箕面キャンパス跡地活用事業」を行うこととしており[43][44]、移転から1年後の2022年3月31日にはこれに係る優先事業交渉者の公募を開始している[45][35] 。同年9月に優先交渉事業者を決定した[46]。 スクールバス豊中・吹田・箕面間の無料バスが朝7時から夜8時まで運行されている。 かつては阪急バスで行き来できていたが、大阪モノレールの大阪空港駅延伸で廃止され、高運賃の乗り継ぎを余儀無くされた。そこで1998年に当時の総長が総長予算により、かつて存在した無料バスを復活させた。2005年5月以降は豊中・吹田間無料バスが20分間隔で走るようになり、2008年4月より、豊中・吹田・箕面間の無料バスも設定された。 モノレールが阪大病院前駅まで延伸された後も、高い運賃と駅から工学部地域までの遠さが嫌われ、混雑していることが多い。休講期間、土日などは原則として運行されない。 なお、バスの本数が多いとは言えないこと、満員で乗れないこともあること、中央環状線の渋滞で延着することなどもしばし起こる。原付や自転車で移動する学生も少なくない。 以前のキャンパス
大阪大学の前身である適塾の建物は、大阪府大阪市中央区北浜三丁目3-8に所在し、大阪大学の管理の下で一般に公開されている。 寮
刀根山寮は豊中キャンパスの敷地の西隅に、清明寮は豊中キャンパスの北東側隣接地に設けられている。刀根山寮・清明寮・グローバルビレッジ津雲台寮は留学生との混住寮である。新稲寮は豊中キャンパスから北に直線距離で2キロメートルほど離れた箕面市内にある。 グローバルビレッジ箕面船場寮は外国語学部の寮であり、箕面船場地区の外国語学部の校舎である外国学研究講義棟と同じ敷地に隣接して立つ[40]。留学生の個室(定員200名)もある学寮で、混住型である。 各キャンパスの周辺はともに住宅街であり、学生向けのアパートやマンションも多い。生協がアパート・マンションの紹介なども行っている。 かつてあった寮
ともに外国語学部の寮であり、箕面旧キャンパスのキャンパス内の北隅にあった。キャンパス移転により、2021年3月をもって廃止された。 箕面旧キャンパス内には、これらの他に鉄筋コンクリート造7階建の国際学生宿舎(女子)が設けられていた。日本人女子学生が30人、外国人女子留学生が10人入寮し、共同生活を行うことによって国際交流の促進に寄与するためのものである。なお、国際学生宿舎は箕面キャンパスの女子寮の名称「もみじ寮」に因み、それよりも良い設備のため「スーパーもみじ」と学生の間で俗称されていた。 箕面キャンパスは女子学生の方が圧倒的に多いため、本来は向陽寮の一部であった部分(A2棟の3 - 5階)を「もみじ寮」と称して女子学生が居住していた。 留学生・外国人研究者用宿舎上記の刀根山寮・清明寮・グローバルビレッジ津雲台寮・グローバルビレッジ箕面船場寮のほか、次のとおり[56][57][58]。
対外関係他大学との協定
行政との包括協定地域に貢献するため、近隣自治体と包括協定を結んでいる。
産学連携
起業支援大阪大学共創機構[78]や大阪大学ベンチャーキャピタル株式会社(OUVC)[79]が大学発ベンチャー企業の起業支援や、大学内シーズと学外の橋渡しによる事業化を手掛けている。 広報活動(ラジオ番組)広報活動の一環として朝日放送・ABCラジオと大阪大学工学部・工学研究科の共同制作番組が2005年度から放送されている。
連携協定を締結している箕面市との連携事業として、「みのおエフエム」放送(愛称「タッキー816」)で2010年4月から『まちのラジオ(大阪大学社学連携事業)』と題した番組の放送が月に一度行われている。大学と社会のつながりをテーマにする中で、特に2021年度は移転して間もない箕面新キャンパスの紹介が取り上げられている[80][81]。
国際交流協定校共同研究や研究者・学生の交流を行うため、129の大学・機関と大学間交流協定を結んでいる。また617の大学・機関と部局間協定を結んでいる。(2019年9月1日時点) 附属学校等
評価採択されているプログラム
ランキング
脚注注釈
出典
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