星野 利元(ほしの としもと、1892年(明治25年)5月5日 - 1978年(昭和53年)8月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
新潟県出身。星野三太郎の息子として生れる。陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第18連隊付となる。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業。
1927年(昭和2年)7月、陸軍歩兵学校教官となり、陸大教官、戦車第1連隊などを経て、1936年(昭和11年)2月から12月まで欧州に出張した。同年12月、歩兵大佐に進級し歩兵学校教官となった。翌年8月、戦車第5連隊長に就任し、教育総監部第4課長を経て、1939年(昭和14年)8月、陸軍少将に昇進。同年10月、教育総監部第2部長となった。
1941年(昭和16年)4月、公主嶺陸軍戦車学校長に就任し太平洋戦争を迎えた。1942年(昭和17年)8月、陸軍中将に進み、翌月、新設の戦車第1師団長に親補され満州に駐屯した。1945年(昭和20年)6月、第50軍司令官となり青森で本土決戦に備えたが、交戦することなく終戦を迎えた。
1945年11月、俘虜関係調査部長に就任し、同月、予備役に編入となった。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
親族
栄典
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。