春の海
春の海(はるのうみ)は、日本の箏曲家であり作曲家の宮城道雄が作曲した箏曲。ヴァイオリン版も知られるが、本来は箏と尺八の二重奏である。 新日本音楽を代表する楽曲である。日本では、小学校における音楽の観賞用教材として指定されているほか、特に正月には、テレビ・ラジオ番組や商業施設等でBGMとして使用されているため、今日では正月をイメージする代表的な曲の一つとして知られている。 曲の特徴1930年(昭和5年)の歌会始の勅題「海辺の巖」にちなみ、歌会始前の昭和4年(1929年)末に作曲された。宮城は曲のモチーフとして、大正6年(1917年)に上京する際に航路で旅した瀬戸内海をイメージして描いている(随筆「『春の海』のことなど」より)。8歳で失明する前に祖父母に育てられて住んでいた瀬戸内の景勝地、福山市の鞆の浦の美しい風景が目に焼きついたのをイメージして描いている、という説は誤り。宮城道雄は幼少の頃に鞆の浦で過ごしたことはなく、初めて鞆に来たのは昭和23年(1948年)8月のことであった(随筆「鞆の津」より)。 箏とヴァイオリンによる二重奏のレコードの発売は、フランスの有名な女性ヴァイオリニストであったルネ・シュメーの来日に遡る。昭和7年(1932年)、シュメーが東京を訪れた際、演奏披露された宮城の『春の海』をとりわけ気に入り、自身もヴァイオリンで演奏するべく宮城へ申し入れた。 シュメーは、滞在先の帝国ホテルで尺八のパートをヴァイオリンへ変更する編曲を独自で行った。一晩で仕上げたという彼女の才能と熱意に宮城は感銘を受けつつ、彼女と奏じたところ、宮城も言葉は通じないが音楽家として曲全体の符合を確信する。これにより2人の公開演奏が決まり、宮城の箏とシュメーのヴァイオリンによる二重奏での『春の海』が日比谷公会堂で演奏された。この宮城とシュメーによる『春の海』は、後に改めて日本で録音され、日本、アメリカ合衆国、フランスでレコード発売された。これが契機となり、日本国内のみでなく国外の人々にも認知され、また親しまれる曲となった。ギドン・クレーメルが来日時に吉野直子と共演した際、この例に倣って演奏・録音した。 『春の海』は、江戸時代までの近世邦楽ではないが、現代においても日本の正月をイメージさせる曲として定着しており、その広がりから日本的な景色を強く印象付ける伝統的な楽曲とされる。もっとも先述のシュメーの演奏を聴いていた須永克己は、『春の海』を洋楽的な音楽として受け止めていた[1]。 演奏初演『春の海』の初演は、1929年末に作曲者である宮城と尺八演奏家の吉田晴風により日比谷公会堂で行われた。事実上の初演は1929年末であるが、宮城は随筆『夢の姿』で何よりも歌会始めの勅題に因んだものであるから、本当の初演は翌年の春としていると述べている。 著名な演奏
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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