曽根 嘉年(そね よしとし、1910年11月3日 - 2003年10月22日)は、日本の経営者、技術者。三菱自動車工業社長を務めた。
来歴・人物
愛媛県出身。1933年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱航空機名古屋製作所に入社。堀越二郎率いる軍用機設計チームで堀越の補佐を務め、九六艦戦や零戦、烈風などの機体設計に従事した[2]。
1967年5月に三菱重工業取締役に就任し、1970年5月には常務に就任。1974年1月に三菱自動車工業副社長に就任し、1979年6月に社長に昇格。1981年6月から相談役を務めた。三菱重工業相談役も務めた。
1977年4月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等瑞宝章を受章。
2003年10月22日、死去[3]。92歳没。
脚注
- ^ “三菱海軍戦闘機設計の真実”. 国書刊行会 (2019年7月). 2023年1月25日閲覧。
- ^ 2003年 10月24日 日本経済新聞 朝刊 p43
参考文献
- 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 上』興信データ、1991年。
- 先代
- 久保富夫
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- 三菱自動車工業社長
- 第3代:1979年 - 1981年
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- 次代
- 東条輝雄
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