杉本 友基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
埼玉県所沢市 |
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生年月日 |
(1973-06-19) 1973年6月19日(51歳) |
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身長 体重 |
186 cm 83 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1996年 ドラフト1位(逆指名) |
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初出場 |
1997年8月28日 |
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最終出場 |
2005年9月3日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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杉本 友(すぎもと ゆう、1973年6月19日 - )は、埼玉県所沢市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
小学3年の時に野球を始める[1]。中学時代は捕手、埼玉県立川越高等学校では一塁手だった[1]。卒業後は高校野球の監督を目指すために一浪し、筑波大学第三学群基礎工学類に入学[1]。変換工学を専攻したという経歴を持つ。3年次からエースとなり首都大学リーグの大東文化大学戦でノーヒットノーランを達成し、脚光を浴びる[1]。4年秋にはエースとしてリーグ戦優勝に貢献し、明治神宮野球大会に出場[1]。初戦で完投するも延長サヨナラ負け。大学時代のニックネームは、「首都リーグのドクターK」[1]。大学通算18勝11敗、246奪三振、防御率2.42、最優秀投手2回、ベストナイン1回[2]。同じリーグの同期に森中聖雄(東海大)、小林雅英(日体大)という好投手がおり、凌ぎを削った。
1996年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから1巡目指名を受け、入団[1]。国立大学出身者初のドラフト1巡目選手として注目を集める。
1年目の1997年アマチュア時代のトルネード投法からの変更に時間がかかり、シーズンに優勝争いの終盤に先発ローテーションに入り、3勝を挙げたが翌1998年シーズンは開幕2戦目に先発登板したがに0勝7敗(先発6敗、リリーフ1敗)でシーズンを終えるなどなかなか才能が開花せず、2000年シーズンオフに戸叶尚、進藤達哉、新井潔との交換トレードで、前田和之、小川博文と共に横浜ベイスターズへ移籍[3]。
2003年シーズンオフに横浜から戦力外通告を受け、ヤクルトスワローズにテスト入団。中継ぎ投手として自己最多の登板を果たすが翌年の2005年シーズンオフにヤクルトから再び戦力外通告を受け、現役を引退。
2010年より教員を務める仁川学院高等学校の野球部のコーチに就任[4]。
2018年に開明高校から学校を移り、同年より西宮甲山高校の教員を務める。
2022年より兵庫県立宝塚西高等学校の教員を務め、野球部の監督に就任。理科の物理を担当している[5]。
人物
- プロボクシング元WBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守は杉本の妻の妹の夫である[6]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1997
|
オリックス
|
8 |
7 |
0 |
0 |
0 |
3 |
3 |
0 |
-- |
.500 |
189 |
45.2 |
37 |
5 |
17 |
0 |
1 |
31 |
3 |
0 |
19 |
17 |
3.35 |
1.18
|
1998
|
16 |
8 |
1 |
0 |
0 |
0 |
7 |
1 |
-- |
.000 |
234 |
47.2 |
54 |
5 |
38 |
1 |
0 |
39 |
2 |
1 |
36 |
32 |
6.04 |
1.93
|
1999
|
10 |
4 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
0 |
-- |
.500 |
98 |
21.2 |
23 |
1 |
17 |
0 |
0 |
15 |
0 |
0 |
13 |
13 |
5.40 |
1.85
|
2000
|
19 |
14 |
2 |
0 |
0 |
4 |
8 |
0 |
-- |
.333 |
349 |
77.0 |
79 |
11 |
40 |
0 |
4 |
65 |
2 |
0 |
53 |
49 |
5.73 |
1.55
|
2001
|
横浜
|
9 |
4 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
109 |
26.1 |
24 |
1 |
8 |
0 |
1 |
18 |
2 |
0 |
7 |
7 |
2.39 |
1.22
|
2002
|
20 |
7 |
0 |
0 |
0 |
1 |
3 |
0 |
-- |
.250 |
236 |
53.2 |
54 |
6 |
19 |
2 |
2 |
44 |
2 |
0 |
29 |
27 |
4.53 |
1.36
|
2004
|
ヤクルト
|
43 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
201 |
46.1 |
57 |
12 |
9 |
0 |
0 |
44 |
3 |
0 |
32 |
27 |
5.24 |
1.42
|
2005
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
---- |
7 |
1.0 |
4 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
3 |
3 |
27.00 |
4.00
|
通算:8年
|
126 |
44 |
3 |
0 |
0 |
12 |
23 |
1 |
0 |
.343 |
1423 |
319.1 |
332 |
42 |
148 |
3 |
8 |
258 |
14 |
1 |
192 |
175 |
4.93 |
1.50
|
記録
- 初登板:1997年8月28日、対近鉄バファローズ22回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回1/3を5失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表にタフィ・ローズから
- 初勝利:1997年9月17日、対日本ハムファイターズ26回戦(東京ドーム)、4回裏2死に2番手として救援登板、3回1/3を無失点
- 初先発勝利:1997年9月26日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(千葉マリンスタジアム)、6回2/3を1失点
- 初完投:1998年4月5日、対福岡ダイエーホークス2回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回3失点で敗戦投手
- 初セーブ:1998年6月27日、対日本ハムファイターズ12回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回表に2番手として救援登板・完了、4回無失点
- 初完投勝利:2000年4月13日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回2失点
背番号
- 18 (1997年 - 2000年)
- 19 (2001年 - 2003年)
- 44 (2004年 - 2005年)
脚注
関連項目
外部リンク