松前 資広(まつまえ すけひろ、旧字体:松󠄁前󠄁 資󠄁廣)は、江戸時代中期の大名。蝦夷地松前藩の第7代藩主。官位は従五位下若狭守。
享保11年(1726年)、第6代藩主・松前邦広の長男として誕生。
元文5年(1740年)11月15日、8代将軍・徳川吉宗にお目見えする。同年12月21日、従五位下若狭守に叙任する。寛保3年(1743年)8月16日、父・邦広の死去により、家督を相続する。
明和2年(1765年)3月19日、死去。享年40。
父母
正室
側室