柿本倫明
柿本 倫明(かきもと みちあき、1977年10月6日 - )は、福岡県京都郡みやこ町(旧犀川町[1])出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード (FW)。 来歴大阪体育大学在学中の1999年、ユニバーシアードマヨルカ大会で日本代表に選出され2ゴールをあげるなど活躍し、2000年、J1・アビスパ福岡へ入団。しかし、出場機会を得られないまま1年で戦力外通告を受け退団、シンガポールリーグのクレメンティー・カルサFCに移籍した。そこで29試合に出場し14得点と結果を出すと、福岡在籍時にサテライト監督を務めていた当時の大分トリニータ監督、小林伸二から声がかかり、2002年シーズンからJリーグに復帰。しかし大分でも結果を残せず、2003年6月よりJ2・湘南ベルマーレへ期限付き移籍[2]、翌年完全移籍[3] すると2004年・2005年と2年連続で2桁得点をあげるなど主力として活躍し、その実績が認められ、2006年はJ1・セレッソ大阪へ期限付き移籍[4]。自身三度目のJ1挑戦となったが、思うような結果を出すことが出来ず、2007年からは湘南に復帰。しかし、リーグ戦無得点に終わり、シーズン終了後に戦力外通告を受け退団。そこで柿本と高校時代の同級生であった成田偉作(松本山雅FC・U-15コーチ)の誘いを受けて北信越1部・松本山雅FCへ移籍した。背番号10を任された2008年、2009年はエースストライカーとして活躍。天皇杯では2008年の対湘南ベルマーレ(J2)戦、2009年の対浦和レッズ(J1)戦でそれぞれゴールを決め、格上からの大金星に貢献した。さらに、全国地域サッカーリーグ決勝大会でも活躍し、JFL昇格の原動力となった。 2010年シーズンを以って、現役引退。松本は柿本の貢献に感謝と敬意を表し、2011年シーズンは背番号「10」を欠番にすると発表した[5]。 引退後は松本のアンバサダーに就任した。2011年7月10日に行われた引退試合は、セレッソ大阪でチームメイトだった名波浩の呼びかけにより、元日本代表11人が出場する豪華なものとなった[6]。 指導者としては松本でサッカースクール、U-18コーチ、U-14監督、U-15監督を歴任し、2017年から提携関係のあるアルティスタ浅間へ指導者派遣となり、2019年には浅間のトップチーム監督に就任した[7] [8]。 2022年、大分トリニータのフットボール事業本部・強化部長に就任[9]。 所属クラブ
個人成績
代表歴指導歴
脚注
関連項目
外部リンク
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