瀬長
瀬長(せなが)は、沖縄県豊見城市の地名。郵便番号は901-0233。 那覇市のベッドタウンとして発展している豊見城市の中でも、観光地として開発が進む瀬長島を中心とした地域。 地理豊見城市西部に位置する。北側に那覇市具志、東側に田頭、南側に与根、豊崎干潟を挟んで豊崎と接し、西は東シナ海に面している。 歴史太古の時代、琉球の国を創ったアマミキヨの子、南海大神加那志が最初にこの島に住み、そこから豊見城の世立てが始まったという豊見城発祥伝説が残る。 島内にはかつて瀬長グスクがあった。これまでに中国製青磁や陶器・グスク系土器などが出土している。 1719年(康煕58年)に来琉した中国の冊封副使・徐葆光は、瀬長島を訪れた際の様子について、『遊山南記』の中で、美しい砂浜の静けさと大勢の人が雨宿り出来るほどの巨石奇岩の様子など、その変化に富んだ景観を讃えている(『琉球国使略』)。また、昭和11年には沖縄八景の一つに数えられるなど、豊見城を代表する風光明媚な景勝地であった。 1944年(昭和19年)、沖縄戦に伴い住民らに島外退去が命ぜられ、引き続き戦後も島全体が米軍基地として接収されることとなった為、やむなく島民は対岸で集落を構えざるを得なかった。このときの基地建設工事で島は大きく削り取られ、また、島と本島および空港とをつなぐ2本の海中道路が取付けられるなど景観は激しく変貌した。島は、長らく米海軍弾薬貯蔵基地として使用され、1977年(昭和52年)には返還された。 戦前まで島内には、瀬長グスクの遺構を始め、子宝祈願とともに誕生する新生児の性別を占った「子宝岩(イシイリー)」、さらに『琉球国由来記』にも記述のある瀬長ノ嶽など多くの遺跡や拝所、井泉等が残り、信仰の対象として各地から参拝者が訪れていたが、戦後は立入禁止となり遺構の多くが基地建設と同時に破壊され往時の面影はほとんど残されてない。対岸のアカサチ森に遥拝所が建てられ、島内にあった拝所、井泉等が集合移設されている。アンジナムヌメーや浜下りは、瀬長島とゆかりのある行事であり、また、男女の恋愛を題材とした組踊「手水の縁」の一幕も、瀬長島が舞台設定であると言われている。 近年は、那覇空港からのアクセスが良く、飛行機や夕日を眺めることができる島のため、観光客に人気が出ており、ホテルや商業施設、レジャー施設、公園などの整備が進められ、リゾートアイランドとも呼ばれるようになった。 施設公共施設等観光・商業施設等
史跡・公園等
交通バス以下のバス停留所が存在する。
上記バス停に停車する全ての路線を掲載する。 路線詳細については沖縄本島のバス路線を参照のこと。
道路2016年に4車線化全面開通した[3]。 出典
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