熊谷 岱蔵(くまがい たいぞう、1880年(明治13年)7月19日 - 1962年(昭和37年)2月19日)は、内科学者、医学博士。東北帝国大学医科大学(後の東北大学医学部)教授、東北帝国大学総長。抗酸菌病研究所初代所長。興亜工業大学顧問を兼任した。
来歴
長野県東筑摩郡洗馬村(現:塩尻市)の代々医家の熊谷家に生まれる。熊谷陸蔵の長男。曾祖父には浅田宗伯に医学の薫陶を施した熊谷珪碩がいる。旧制松本中学時代の同級生には吉江喬松がいた。一高、東京帝国大学医学部卒業後、青山胤通の内科学教室に入局。
1911年(明治44年)から1913年(大正2年)までドイツのベルリン大学・ブレスラウ大学に留学し内科学、免疫学、実験治療、医化学等を学ぶ。帰国後は糖尿病、インスリンの研究や結核、特にBCG・三者併用化学療法(ストマイ、バス、ヒドラジット)の普及に貢献、特に人工気胸法、大気安静療法、胸郭形成術、肺葉切除術などを研究した。結核の早期診断を主張して集団検診の実施を広め、1939年(昭和14年)から全国青少年に対するツベルクリン反応によるBCG接種を実現させた。
1929年(昭和4年)日本内科学会会頭。1940年(昭和15年)東北帝国大学総長就任。
勲章
親族
脚注
- ^ “仙台市名誉市民”. 仙台市. 2022年6月8日閲覧。
- ^ 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年、ク41頁。
参考資料
- 黒川利雄『熊谷岱蔵先生を悼む』科学、岩波書店、1962年5月号
- 『艮陵同窓会百二十年史』東北大学医学部艮陵同窓会、1998年
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東北帝国大学総長 | |
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東北大学総長 ※1949-1994学長 | |
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前身諸学校・大学長 |
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仙台医学専門学校長 |
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第二高等中学校医学部主事 |
- 学部長/主事 山形仲芸 1888/1888-1894
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第二高等学校医学部主事 | |
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仙台医学専門学校長 |
- 心得/校長 山形仲芸 1901/1901-1912
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東北帝国大学附属医学専門部主事 | |
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| | | | 東北大学附属医学専門部長 |
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東北帝国大学臨時附属医学専門部主事 | |
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東北帝国大学附属医学専門部長 | |
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東北大学附属医学専門部長 | |
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