片桐恒男
片桐 恒男(かたぎり つねお、1896年5月5日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2]。本名は片桐 經男(読み同じ)[1]。旧芸名は片桐 六朗(かたぎり ろくろう)、片桐 六郎のほか、片桐 恒雄、片桐 恒夫、片桐 常男、片桐 常雄と表記に揺れがある。帝国キネマ、新興キネマなどで活躍した名悪役の一人である。 来歴・人物1896年5月5日、東京府下(現在の東京都)に生まれる[1][2]。 中学校卒業後、徴兵検査を受験するも不合格となり、俳優に転向して新派の井上正夫一座に加入する[1]。次いで山崎長之輔一座から村田正雄一座の幹部となり、1921年には片桐恒男一座を組織して各地を巡業したが、1925年に舞台を退く[1]。同年12月、帝国キネマに入社して、多数の作品に出演する[1]。中でも1926年に公開された後藤秋声監督映画『慈悲心中ヶ丘』では、鹿児島に潜入した刀鍛冶、実は官軍の間諜・白川左近大佐という大役を演じている。1936年、極東キネマに移籍し、芸名も片桐六朗と改名。しかし1937年、帝国キネマが改称した新興キネマに再び入社した。以後も敵役を中心に引き続き多くの作品に出演した。片桐六郎という芸名で活動していた時期もある。 ところが、1940年に公開された西原孝監督映画『元禄深編笠』を最後に出演作品が途絶え、『日本映画俳優全集 男優篇』など殆どの資料では以後の消息は不明とする[1][2]が、戦後の1949年、大映京都撮影所が製作した木村恵吾監督映画『大江戸七変化』から再び映画に出演しており、復帰したと思われる。その後、東宝を経て1955年に日活へ入社して多くの作品に出演している。1965年に公開された柳瀬観監督映画『高原のお嬢さん』以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である。没年不詳。 出演作品
脚注参考文献
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