片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本の銀行家。北都銀行取締役相談役、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。
人物
秋田県湯沢市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、三菱商事入社[1]。
1949年(昭和24年)には、父である片野重脩が設立を主導した秋田無尽に入社。その後、秋田相互銀行社長に就任した。
社長在任時は、1976年(昭和51年)の事務センターの開館、翌年にはオンラインシステムの稼動開始など事務のOA化を促進し体制の整備にあたった。また、1982年(昭和57年)には現在の北都ビルディングにあたる「新本店ビル」の竣功にこぎ着けた[2]。このほか、「秋田県にスポーツ文化を」との一念から、自ら立役者となり秋田相銀、あけぼの銀時代には、同行野球部を全国都市対抗野球選手権大会に東北代表として、それぞれ1度ずつ出場へと導いた[2]。
1990年(平成2年)には、会長に退き、北都銀行発足後は取締役相談役となった。
2002年(平成14年)2月24日、脳梗塞で入院先の秋田赤十字病院にて86歳で没。
略歴
脚注
- ^ 『日本金融名鑑(上)』日本金融通信社 1989年
- ^ a b 『日本金融通信縮刷版 2002年』日本金融通信社 2003年