琴浦町(ことうらちょう)は、鳥取県の中部に位置する町。日本海側は商工業地域、中部は農業地帯、南部は大山滝や船上山などがある中山間地となっている[1]。東伯郡に属す。
地理
日本海に面する。
隣接している自治体
歴史
東伯郡の東伯町と赤碕町が2004年9月1日に合併して誕生した[2]。なお、琴浦町の町名は、かつて海岸一帯が「琴ノ浦」と呼ばれていたことに由来する。
町内に奈良時代前期の斎尾廃寺跡があることから、かつてはこの地に有力な勢力があったと思われる。また、出雲文化圏の東の端にあたり、日本海側気候で豪雪地帯となっている。
行政
- 町長
- 福本まり子(2022年2月1日 - 前町議会議員)
歴代町長
- 町長職務執行者:田中満雄(2004年9月1日 - 2004年9月30日、前赤崎町長)
- 初代:米田義人(2004年10月1日 - 任期途中辞職、前東伯町長)
- 2代:田中満雄(2006年2月1日 - 2014年1月31日 前助役)
- 3代:山下一郎(2014年2月1日 - 2018年1月31日(2期)[4]前副町長)
- 4代:小松弘明(2018年2月1日 - 2022年1月31日(1期)、前副町長)
庁舎
琴浦町役場は本庁舎、分庁舎の2庁舎にて構成される。役場の各課は両庁舎に分けて配置されている。
- 本庁舎:〒689-2392 鳥取県東伯郡琴浦町大字徳万591番地2
- 町長執務場所
- 議会・議会事務局
- 選挙管理委員会 等
- 分庁舎:〒689-2501 鳥取県東伯郡琴浦町大字赤碕1140番地1
警察
経済
名物・特産品
- 菓子
- 醸造業
- 日本酒(大谷酒造、江原酒造本店)
- 焼酎(大谷酒造)
- 醤油(杉川商店、桶谷醤油)
- 酪農業
- 農産物
地域
人口
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琴浦町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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琴浦町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 琴浦町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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琴浦町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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22,300人
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1975年(昭和50年)
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22,030人
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1980年(昭和55年)
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22,150人
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1985年(昭和60年)
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22,326人
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1990年(平成2年)
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21,736人
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1995年(平成7年)
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21,184人
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2000年(平成12年)
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20,442人
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2005年(平成17年)
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19,499人
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2010年(平成22年)
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18,531人
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2015年(平成27年)
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17,416人
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2020年(令和2年)
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16,365人
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総務省統計局 国勢調査より
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住所表記
2004年9月1日の合併により、琴浦町が発足した。このため、住所表記が以下の通り変更された。また、大字は表示する。鳥取県で、合併後も引き続き大字を表示するのは湯梨浜町と琴浦町のみである。
- 「東伯郡××町△△」→「東伯郡琴浦町△△」とする(従来通り「大字」は付ける)。
- 例
- 鳥取県東伯郡東伯町大字△△ → 鳥取県東伯郡琴浦町大字△△
- 鳥取県東伯郡赤碕町大字△△ → 鳥取県東伯郡琴浦町大字△△
教育
交通
鉄道路線
バス路線
- 一般路線バス
- 日ノ丸自動車(日ノ丸バス)が幹線、琴浦町営バス(実際の運行は日ノ丸自動車に委託)が支線を運行している。
- 幹線:倉吉~浦安~赤碕、運賃は対キロ区間制。
- 支線:琴浦町営バス:ワンコインバス、運賃は100円均一。
道路
港湾
情報通信
市外局番
市外局番は、0858(20~69)となっている。ただし、天気予報は0859-177である(市外局番0858の地域が鳥取県東部と中西部に複数存在するため)。
- 0858(20~69)エリア
- 倉吉市・三朝町・湯梨浜町・琴浦町・北栄町・大山町(中山地区)
- 東伯電話交換所管轄(49(0、5000番台)、52、53)
- 東伯古長電話交換所管轄(49(4000番台)、57)
- 赤碕電話交換所管轄(49(2、8000番台)、55)
郵便番号
郵便物の集配は、以下の郵便局が行っている。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身有名人
井勝めぐみ-歌手 paix2(ぺぺ)のメンバー
琴浦町にゆかりのある作品
漂着朝鮮人の救助
日韓友好交流公園「風の丘」は1819年赤碕沖に朝鮮商船が漂着し、漂着民を鳥取の人々が手厚くもてなしたエピソードを記念して赤碕町が3億9000万円の事業費をかけて建設した。
説明碑には元々「日本海」と韓国が主張する日本海の呼称「東海」の両方の名称があったが、当時の田中満雄町長が2007年3月に町外の鳥取県民からの批判を受けて「東海」の文字を削除したところ、在日本大韓民国民団等から抗議を受ける事態になった。また、記念碑の推進をした中井勲元町長は、町民でないものの意志によってこのような改変が行われたこと等に対して公開質問状を出した。町は抗議を受け、どちらも表記しないという方向で決着を図ろうと試みたが、今度はこの対応に対して全国から批判の声が殺到した。町は外務省に判断を仰ぎ、「日本海」を現状どおり単独表記することに決定した[23]。詳細は日本海呼称問題参照。
脚注
出典
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
琴浦町に関連するカテゴリがあります。
外部リンク