田中 フミヤ(たなか ふみや、1972年5月21日 - )は、京都府福知山市出身の日本のテクノミュージシャン、音楽プロデューサー、DJ。ドイツ・ベルリン在住。本名:田中 文也(たなか ふみや)。テクノ・レーベル「op.disc」、「Sundance」、とれまレコード主宰者。「テクノ番長」「ミニマル番長」[1] 等の異名を持つ。
概要
京都府福知山市生まれ。小学生の時に、セックス・ピストルズと出会い音楽にのめり込み、パンクバンドを始める[2]。京都府立福知山高等学校中退。
18歳で、クラブカルチャーに未来を見出し、1990年代前半に大阪を拠点にDJ活動を始め、1993年には早くも自身初のレーベル「とれまレコード」を設立[3]。1995年には、欧州のクラブ雑誌『CODA』のアンケートで“好きなDJチャート”6位にランクインされる。1996年にはタンツムジークの山本アキヲとのユニット「HOODRUM」を結成して、ソニーレコードからアルバムをリリースしている。海外活動も行っており、2001年にはドイツのTresorからシングルとアルバムをリリースした。2005年に半野善弘(Cirque/PROGRESSIVE FOrM)との共同運営となる新レーベルop.discもスタート。2007年にはDJプレイ中の思考過程を記録した画期的なDVD『via』をリリースし話題を呼ぶ。同年には半野善弘とのユニットDARTRIIXのアルバムもリリースした。
よりフリースタイルな活動をする場合には「Karafuto」や「Individual Orchestra」名義を使用する。また、DJとして自身のホームグラウンドであるパーティー「CHaOS」を主催し、海外の先鋭的なテクノミュージシャンをゲストに迎えている。海外のトップDJであるリカルド・ヴィラロボスやZip、ポータブルなどなど、ドイツを中心としたミニマル・テクノのアーティストたちがプレイしている。ドイツ・ベルリンに本拠を置くレコードレーベル「ペルロン」(Perlon)にも参加。フランスやポルトガルのレーベルからのリリースやトーマス・メルキオールとの「Tofu Productions」でのリミックス・ワークなどプロダクション方面でも活動している。2011年以降はベルリンに拠点を移し活動中。
略歴
- 1993年:自身のレーベルである「とれまレコード」を自費で設立。
- 1995年:海外でのDJ活動を開始。
- 1994年:電気グルーヴのたんぽぽツアーにDJとして参加。
- 1995年:メジャーでは日本初のDJミックスアルバム『I am not a DJ』をリリース。
- 1996年:ミニアルバム『BUS INESS CARD』でメジャーデビュー。Karafuto名義での活動を始める。
- 1997年:ファースト・オリジナル・アルバム 『Unknow Possibility Vol.1』 をリリース。
- 2004年:西麻布YELLOW/難波ROCKETSで「CHAOS」を開催。
- 2016年:Untitled Recordsが再始動。
代表作
田中フミヤ名義
- I am not a DJ(1995)
- Mix-Up Vol.4(1996)
- Unknown Possibilities Vol.1(1997)
- Unknown Possibilities Vol.2(2000)
- DJ MIX 1/2 [MIX.SOUND.SPACE](2002)
- mur mur -conversation mix(2007)
- via(2007)
- Unknown 3(2008)
- You Find The Key(2016)
- Beautiful Days EP(2017)
- A/B(2018)
- C/D(2018)
- Beautiful Days 2010-2015(2018)
KARAFUTO名義
- Karafuto presents Individual Orchestra(1998)
- 10inch Works(2000)
- DJ MIX 1/2(2000)
- Shift to the other time -Karafuto live mix at Unit 28.1.2006(2006)
Individual Orchestra 名義
HOODRUM名義
脚注
外部リンク