白頭大幹
白頭大幹(ペクトゥデガン、はくとうだいかん、朝: 백두대간)は、北の白頭山から南の智異山まで朝鮮半島の大部分を縦断している山脈、分水嶺の線[1]。河川などによって分断されることなく朝鮮の国土を貫く山系であり[2]、朝鮮において伝統的な思想である風水地理の哲学と実践において、根幹をなす概念である。白頭大幹は、しばしば朝鮮半島の「脊椎」として言及され、歴史的にも様々な芸術作品において、そのように表現されてきた。白頭大幹は、小白山脈全体と、太白山脈の大部分を合せたものである。 標高 2,744m の白頭山は、白頭大幹の北端に位置し、広く朝鮮の山々の父と見なされており、そこから 1400 km にわたって延びる白頭大幹は、朝鮮半島の背骨としてしばしば言及される[2][3]。 歴史白頭大幹という表現は、北の白頭山から南の智異山に至る山稜の連なりを捉えた言及のしかたである[3][4]。風水思想の形勢学派は、「気」の流れである「脈」に沿って山脈が形成されると考えるが、申景濬は『山経表(산경표)』において、「白頭大幹」に初めて言及し、これを最高位の「脈」と位置付けた[4]。 以降、朝鮮では長らく「白頭大幹」あるいは「白頭正幹」といった表現が用いられていたが、近代地理学の導入が始まると、張志淵が1909年に発表した『大韓新地誌』を初出として「白頭山脈」という表現が導入されるようになり[5]、1910年から1945年に至る日本統治時代の朝鮮において、日本は朝鮮の山々の構造を捉えなおすため、山脈の概念を導入しようとした[3]。日本統治時代に広まった山脈という捉え方は、地下の地質学的構造を優先した考え方であり、地形学的構造を優先したものではなかった[3]。 1990年代、大韓民国では『山経表』の復刻出版を契機に、「白頭大幹」への関心が高まった[4]。 2003年、大韓民国環境部は、「国土を健全に保存し快適な自然環境を造成」することをうたった「白頭大幹保護に関する法律」を公布した[4]。 一部の人々は、現状では軍事境界線によって分断されているこの稜線全体を歩き通すことを夢見ている。ニュージーランド出身で大韓民国在住の写真家ロジャー・シェパードは、2007年から南の山々の登山と撮影を始め、2011年以降は北の山々にも登山して、2013年に写真集『BAEKDU DAEGAN KOREA:Mountains of North & South Korea』を発表した[6]。 山北南
脚注
関連項目
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