磯部 巌(いそべ いわお、1901年(明治34年)7月21日 - 1998年(平成10年)9月8日[1])は、日本の内務官僚。日本中央競馬会保健組合顧問[2]。(株)山一土建相談役[2]。弁護士磯部醇の長男[2]。
経歴
愛知県名古屋市出身[2]。1924年(大正13年)高等試験行政科試験合格[3]。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業[2]。内務省に入り警保局図書課勤務を経て1927年(昭和2年)島根県警防課長となり、山梨・滋賀・長崎各県事務官、行政裁判所評定官、大分県学務部長、厚生省社会保険局庶務課長、茨城・兵庫・福井・福島各県内政部長、秋田県知事を歴任[2]。
1949年(昭和24年)、参議院労働委員会専門員に任ぜられる。1955年(昭和30年)に辞任[2]。
1959年(昭和34年)、愛知県知事選挙に日本社会党公認で立候補するも[4]、現職の桑原幹根に敗れ落選。
1998年(平成10年)9月8日、肺炎により死去[1]。97歳没。
人物像
趣味は読書音楽[2]。宗教は真宗[2]。住所は東京都目黒区上目黒[2]。
家族・親族
磯部家
- (岐阜県、愛知県名古屋市、東京都)
- 1906年(明治39年)4月生[2] -
- 1929年(昭和4年)生[3] -
- 1931年(昭和6年)生[3] -
- 1938年(昭和13年)8月生[2] -
- 1944年(昭和19年)7月生[2] -
脚注
- ^ a b 『朝日新聞』1998年9月10日朝刊、1面の訃報より
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『第二十一版 人事興信録 上』(昭和36年)い一六三
- ^ a b c d e 『人事興信録. 第13版 上』(昭和16年)イ一八八
- ^ 『朝日新聞』1959年1月7日付夕刊、東京版、1面。
関連項目