神頭 勝弥(神頭 勝彌、こうず かつや、1866年6月10日(慶応2年4月27日) - 1941年(昭和16年)8月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は従三位勲二等功三級[2]。
経歴・人物
信濃国水内郡檀田村(長野県長野市)[3]に神頭三太夫の三男として生まれ[2]、1910年(明治43年)分家する[2]。1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[1][4]。1899年(明治32年)陸軍大学校第13期卒業[1][4]。
1912年(大正元年)9月に陸軍歩兵大佐・高知連隊区司令官、1913年(大正2年)8月に歩兵第28連隊長、1916年(大正5年)3月に第3師団参謀長、1917年(大正6年)5月に中支那派遣隊司令官を経て、同年8月に陸軍少将に進級[1][4]。
ついで1918年(大正7年)12月に歩兵第29旅団長、1920年(大正9年)8月に下関要塞司令官を経て、1921年(大正10年)7月に陸軍中将となり、1922年(大正11年)5月に第10師団長を経て、1924年(大正13年)2月4日に待命、同月26日に予備役に編入した[1][4]。
栄典
- 位階
- 勲章等
親族
脚注
- ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』297頁。
- ^ a b c 『人事興信録』第8版、カ126頁。
- ^ 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年、270-271頁。
- ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』99頁。
- ^ 『官報』第1526号「叙任及辞令」1917年9月1日
- ^ 『官報』第7701号「叙任及辞令」1909年3月2日。
- ^ 『官報』第3489号「叙任及辞令」1924年4月14日。
- ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『人事興信録』第9版、カ115頁。
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所 編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。
- 人事興信所 編『人事興信録』第9版、人事興信所、1931年。
- 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。